日本書紀に登場する「磐余(いわれ)池」推定地である橿原市の東池尻・池之内遺跡で、6世紀後半に造られた池の堤跡が見つかり、市教委が12日、発表した。堤跡が確認されたのはこれで4回目で、市教委はこれまでの調査結果と合わせ、「考古学的に堤の上面の幅が25メートル以上とわかった。大規模な池で、池の構造を考える重要な資料」としている。
堤は自然の丘陵を利用して造られ、現在の地形から全長300メートル以上、上面の最大幅約50メートル、高さ2~3メートルと想定されている。今回の発掘現場(約90平方メートル)は中心部のやや東側で、堤の上面の遺構が出土した。現場付近の堤の推定幅は約30メートルだが、市教委はこれまでの調査結果を踏まえ、25メートル以上とみている。
同じような古代の池では大阪府の狭山池(7世紀前半)が知られ、堤の上面幅約13メートル、高さ5~6メートル。狭山池の方が高く、池全体の規模も大きいが、堤の幅は東池尻・池之内遺跡の方が広いという。
磐余池の場所については千田稔・県立図書情報館長が2月の講演会で、桜井市の若桜神社西側一帯にあったとする説を発表。これについて市教委は、「主張する場所では遺構が見つかっているわけではないので、東池尻・池之内遺跡と比較することは難しい」とする一方、「池の推定地の議論を通じ、遺跡が注目されるのは歓迎だ」としている。
現場はすでに埋め戻されており、現地説明会は行わないが、これまでの調査成果の速報展を17日から5月10日まで、歴史に憩う橿原市博物館で開催し、出土遺物も展示する。問い合わせは同館(電)0744・27・9681。