話の肖像画

生命倫理研究者・ぬで島次郎(5)「学者」ではなく「研究者」

 これまで「生命倫理とは何か」という問いの立て方をしたことはなかったが、ひとつひとつの問題に対応していくと、いつも考えなくてはならない共通の何かがあることに気付かされる。この共通のものを置き去りにしていると、堂々巡りになってしまう。逆にこれを押さえておけば、どんな応用問題にも対応できる。日本はそうした根本的な問題に向き合ってこなかった。みなが納得できるような価値観の議論をしてこなかった。

 ただし生命倫理は学問ではない。決めなければならない現実の個別具体的問題を扱う。iPS細胞(人工多能性幹細胞)で何をどこまで作っていいのか。自分の病気を治すために他人の臓器をもらっていいのか。子供ができないとき、他人から精子や卵子をもらったり、子宮を借りたりして子供をもうけていいのか。こうしたことを人間の尊厳を尊重しながら考え、決めていくのが生命倫理だ。

 世紀の大発見と騒がれたSTAP細胞の不正問題についても、どう受け止めたらいいのかを考える必要がある。この問題の最大の原因は、研究の科学的妥当性について相互批判する機会がまったく保障されていなかったところにある。相互批判は研究倫理の根幹だ。個々の登場人物のモラルとか、理化学研究所のガバナンス(統治能力)とかは背景でしかない。背景には再生医療への期待や経済成長に資する再生医療の技術を開発しなさいという国策もあります。

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