北朝鮮の「正史」には、金正日(キム・ジョンイル)は、父、金日成(イルソン)が抗日戦の最中、民族の聖山と位置付けられる白頭山(ペクトゥサン)の麓で誕生したと記される。だが、実際には、旧日本軍の攻勢から落ち延びた先の旧ソ連極東地域で生まれた。
「1940年秋は、普通の秋ではなかった。われわれが経験した紆余(うよ)曲折を語ろうとすると、数冊の長編小説を書いても足りないほどだ」。日成は回顧録にこう書き残している。
40年10月、日成率いる抗日パルチザン部隊は、日本の関東軍に追われていた。関東軍は、約7500人の兵力に航空機まで投入して抗日武装勢力の掃討作戦を繰り広げていた。
辛うじて生き残った抗日部隊は、続々とソ連に逃げ込む。日成の部隊も追っ手をまくため、山中をひた走り、ソ連へ向かった。部隊員は16人しか残っていなかったが、その中に正日の母となる金正淑(ジョンスク)もいた。
残存部隊がソ連との国境に近い現在の中国・琿春の山中にたどりついたのは10月末。生死を賭けた逃避行の最中、異例の「婚礼」が琿春で執り行われた。
式なく「結婚するから」と告げただけ
「結婚の話があったのは、夜の食事の後だった。(伝令兵の)姜渭竜(カン・イリョン)が金日成と金正淑がこれから結婚するというので、私も参加した」。ジャーナリストの恵谷治に語った元パルチザン隊員の徐順玉の言葉だ。