被災地を歩く

海に沈んだまち 宮城県石巻市大川地区

 ■昔の風景を思い一歩一歩前へ

 宮城県石巻市に流れる北上川沿いを、河口に向かって下る。河川敷には黄金色のヨシがなびき、人気のない平地には飛来した白鳥の集団が羽を休めていた。

 河口近くの大川地区。青々とした水田が広がる風景は、地域の誇りだった。山に囲まれた内湾の長面浦(ながつらうら)はひっそりとして神秘的な雰囲気が漂い、陸地の先端にある長面浜は風光明媚(めいび)な海水浴場としてにぎわった。

 そんなまちは今、海に沈んでいる。東日本大震災で堤防が決壊し、平均1・2メートル地盤沈下した土地に海水が流れ込んだ。県東部地方振興事務所によると、農地だけでいまだ約70ヘクタール(東京ドーム15個分)が水没。146軒あった長面の集落は流され、住宅地の面影はない。湖や湿地帯のようになってしまったその場所に、水鳥が群れをなして憩う。旧大川小学校近くに住んでいた武山安吉さん(59)は、「まだまだ手がついていないところばかりだ」と、変わり果てたまちを眺めてつぶやいた。

 県の計画では、壊れた海岸の堤防を締め切って海水の流入を防ぎ、約140万トンの水を抜く。その後、行方不明者を捜索し、81万立方メートルの土を盛って農地として復旧する。この壮大な事業の完成時期は未定という。

 ◆災害危険区域に

 長面浦の海側にかかる小さな橋を渡ると、入り江に沿って民家が連なる尾崎の集落に着く。震災後は居住できない「災害危険区域」に指定されたが、今は人々の姿がある。長面浦で漁をする漁師らが毎日、車で約20分の仮設住宅から元の自宅へ通っているのだ。

 「ここに来て初めて自分の生活が始まるんだ」。漁師の坂下健さん(74)は震災前、漁をしながら夫婦で民宿「のんびり村」を経営していた。長面浦のカキや貝類、畑で収穫された農産物などを振る舞い、漁の体験教室も開いた。

 「漁業や農業をやっている人間が民宿なんてやれるもんかって、初めは反対したんだ。だけどお母さん(妻)に、みんなに喜ばれるはずだって言われてね」

 民宿は長面浦の美しさと新鮮な料理、夫婦の温かいもてなしで、人気に。「お母さんが『のんびり村』って名付けたけど、毎日本当に忙しかった。でも全国から人が来て、幸せもんだなあって思ったよ」。震災後、坂下さんは被災した自宅1階を修繕したが、後に市から災害危険区域指定を受けたため、民宿の営業はできなくなった。

 ◆それでも通う

 坂下さんによると、高齢化で漁師を辞める人も出ており、尾崎で今も漁を続けるのは5人。それでも坂下さんはこの場所に通う。「日本の漁村を守り、水産物を提供する義務がある。簡単に辞めるわけにはいかないんだ」

 尾崎で「小川水産」を営む小川滋夫さん(65)も、思いは同じだ。震災では多くの親類や友人を亡くし、自宅も被災。長面浦はがれきで埋まり、育てたカキの多くが流出した。「マイナスからのスタートだった」と振り返る。

 しかし、地域の復興に向け着実に歩んできた。昨年にはカキの処理場が完成。震災後は全国に出張して長面浦のカキのおいしさをPRし、販売するようにもなった。会社を長男の英樹さん(33)が継ぐことになり、地域の復興に向けさまざまな企画を展開する一般社団法人も立ち上げた。

 「昔の風景を思い描いて、一歩一歩足元を固めていくしかない。これ以上失うものがないから、もう怖いものはない。人間は、ものすごく強いんだ」

 一変した風景の中でも、人々は前へ進んでいく。(安藤歩美)

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