戦後70年

「亡くした戦友、片時も忘れぬ」 語り継ぐ使命感、元特攻隊員は封印した口を開いた 「ようやく…。悔いはありません」

友の冥福祈るしか

 ただ、台湾で共に訓練をした多くの戦友の名前や顔は、片時も忘れたことはなかった。16~18歳という若さで命を落とし、靖国神社に祀(まつ)られた戦友たちに対しては「ただただ、冥福を祈ることしかできなかった」と無念さを滲(にじ)ませた。

 今回、体験を話す決意をしたことについては「生き恥をさらしたくないという思いがあり、戦後は家族にすら話したことがなかった。だが、今回、平和記念館の説得で、語り継がなければならないと感じた。あんな悲惨な戦争を二度と起こさないために役立つなら、壇上に立とうと思った」と語った。

 末吉氏は約1時間に及ぶ講演終了後こうつぶやいた。

 「ようやく、肩の荷が下りたような気がします。もう、いつ死んでも悔いはありません」

母の手紙にすすり泣きも

 会場では、飛行学校に入校した直後に母から送付された手紙の一部が紹介された。

 「毎日忘れん初男さんへ(中略)今年はお祭りが大変面白かったですよ。でも青年を見るとあなたを思い出すばかりです。(中略)干し柿でもこしらえて送りましょうか。何でも欲しいときに申してください。何でも送ります」

 息子を案じる母の心境が綴られており、会場からはすすり泣く声が漏れた。

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