正論

「表現の自由」に潜む言論の劣化 社会学者、関西大学東京センター長・竹内洋

 「左派にあらずんばインテリにあらず」で、著作家や読者(インテリ)の世界は左派が席巻していた。そうである分、多数派の左派論客は身内言語と身内文法だけを用いた一本調子で書いたり、発言したりしていたが、それがそのまま通用したからである。主流派を形成した左派論客の論説の多くが時代の空気が変われば、ほとんど読むに堪えないものとなる所以(ゆえん)である。

 それに対して、当時の保守派などの非左派論客の論文のほうには、今読んでも示唆の多いものが意外とある。左派イデオロギーがみえざる検閲、つまり言論を拘束する空気となっていたからこそ、非左派論客は、レトリックを張り巡らしながら論述を展開した。そのことで表現と思考に深さと奥行きをもたらしたからである。

 言論や風刺が身内化すればするほど、「強い言葉」だけの極論競争になり、表現技術が劣化する。風刺においてはもとより、言論も敵対陣営の人々の心にも染みいるべく表現技術を錬磨したいものである。そうでなければ、ペンは剣より強し、といわれる言論(表現)の力は生まれない。(たけうち よう)

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