金日成(キム・イルソン)が最期を迎える1994年7月初頭の動静については、北朝鮮の主席府責任書記(金日成の秘書室長)の全河哲(チョン・ハチョル、後に副首相)が記した日記風の詳細な記録が残されている。
それによると、経済部門責任者協議会は7月5日から中部の妙香山(ミョヒャンサン)で始まった。実権を握る息子、金正日(ジョンイル)を差し置いて経済政策をてこ入れしようとした会議だ。朝早くから開かれた会議の話題は、電力問題に集中した。「工場や企業所を完全稼働すれば、生産量を3倍にできる。そのためには、電力問題を早く解決しなければならない」。金日成はこう力説したという。
「原子力発電所建設は時間がかかるからダメだ。(北東部)咸鏡北道(ハムギョンプクド)に30万~50万キロワットの重油発電所を造り、年間85万トン以上の肥料を生産すれば、農業問題、すなわち、食べる問題を解決できる」という趣旨の熱弁も振るった。
「胸が苦しい」
それは金正日の考えを真っ向から否定するものだった。金正日は、農業問題よりも軍事力増強を優先すべきであり、そのためには、軍事目的に転用できる原子力発電所を造るべきだと主張してきたのだ。