真田丸、城外孤立の砦だった!? 最新の等高線調査で可能性高まる 大阪

 しかし、千田氏が「浅野家の絵図は正しかった」とする資料が存在した。

 昨年3月、大阪文化財研究所と大阪歴史博物館が刊行した報告書「大阪上町台地の総合的研究」に掲載された古地理図だ。ここでは難波宮や大坂城など、古代から現代まで次々と都市が築かれた上町台地について、遺跡報告書やボーリングデータなどから5時代ごとに等高線を再現した。

 千田氏が大坂の陣の時代と重なる「豊臣時代後期」(1598~1615年)に注目すると、真田丸があった場所では、大坂城との間に堀だけでなく、大きなガケが存在していた。

 古地理図の作製メンバーの大阪文化財研究所の市川創氏によると、「この400年の土地利用で上町台地の高低差は緩和されたが、当時真田丸には深い谷があり、地形の高低差はかなり激しかった」と指摘する。

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 さらに古地理図を詳しくみると、上町台地の西半分は平坦(へいたん)だが、東半分は谷が入り組んで高低差の激しい地形だったことが分かる。