真田丸、城外孤立の砦だった!? 最新の等高線調査で可能性高まる 大阪

 大坂城は東西と北の三方を川や湿地帯で囲まれた天然の要害。一方で、南に続く上町台地が唯一の弱点とされた。真田丸は、この弱点を強化するため、城の東南部に築かれた。戦記などによると、真田丸攻防戦では、豊臣軍はほぼ無傷だったが、徳川軍は数千人もの兵を失ったとされる。

 「難攻不落の大坂城」の名声を一躍天下に知らしめた戦いだったが、舞台となった真田丸の調査はそれほど進まず、確かな遺構も残っていない。

 千田氏によると、真田丸を復元した絵図は数多く存在するが、後世の人々が軍学を学ぶため概念化、単純化した絵図が大半という。

 しかし、広島藩主の浅野家に伝わる江戸時代初期の城跡図面集「諸国古城之図」(広島市立中央図書館所蔵)の真田丸は、かなり様子が異なる。

 大坂城と真田丸の間にがけが描かれ、かなり互いに離れているような印象を与えている。