世界最年長パイロット語る(下)

苦しかったろう、特攻「喜んで死んでいきます」…死にたくないとは書けない、検閲もあるから

【世界最年長パイロット語る(下)】苦しかったろう、特攻「喜んで死んでいきます」…死にたくないとは書けない、検閲もあるから
【世界最年長パイロット語る(下)】苦しかったろう、特攻「喜んで死んでいきます」…死にたくないとは書けない、検閲もあるから
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 僕が乗ってたのは弾に当たりやすくて危険な大型機だったんだけど、なぜ大型機だったかというと、体が大きかったっていうのももちろんあるんだけど、予科練ってのは、すごく厳しい地上の訓練があるのね。1年ぐらい。殴られっぱなしみたいなもん。1人がへまをすれば全員殴られたりするから。その訓練で、やっぱり海軍のパイロットといえども海軍なんだから船の生活も経験しないといけないということで、瀬戸内海で戦艦に乗せられたんだよ。ところが日本の戦艦だから狭いでしょ。当時、僕は周りの同僚に比べて顔一つ分ぐらい大きかったから、あちこち頭をぶつけて、「これは船には乗りたくない」と思ったわけ。ゼロ戦とかの小型機だと航空母艦の生活もしないといけないからね。陸上基地からの発進ばかりじゃないから。それで、船に乗りたくないから大型機に乗ってたということなんだ。

 昭和20年は鹿児島の出水(いずみ)の基地から沖縄の攻撃に向かってたんだけど、最後の1機になって部隊として成り立たなくなってしまったんだ。それで、北海道の美幌航空隊に向かってる途中で、青森の三沢でエンジンの調子が悪くなり、列車で北海道に向かう途中に、青森の青函連絡船の波止場で玉音放送が流れました。本土決戦で死ぬと思ってたから「これで助かった」っていうのが本音だったね。美幌から宮城県の松島基地まで飛んで、そこから列車で復員したら、4人兄弟の末っ子で一人っ子みたいに大事に育てられたから、母親はすごく喜んでくれたね。

 最近になって講演を頼まれたりするけど、僕らがこういう風に戦争体験をしゃべるようになったのは、割合、最近だよ。別に自慢するもんでもないしね。戦記は書くのがうまい人が書くんだね。本当に戦争を体験した人はあんまり書かないんじゃないか。でも、最近だと「永遠の0」。いままで戦記はいろいろ読んだけど、あれが一番真実に近いね。すごく良くできてる。

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