朝鮮半島に前方後円墳12基 奈良・橿考研博の学芸員が報告

 大和政権のシンボルとされる前方後円墳が、韓国南西部に少なくとも12基あることがわかり、橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)の坂(ばん)靖・総括学芸員が、日韓の考古学者らが出席して同研究所で開かれた研究集会で発表した。

 12基の築造は5世紀末~6世紀前半。当時、韓国南西部を支配していたのは百済(くだら)だが、中央集権体制は確立されておらず、被葬者は日本列島との関わりを権勢の基盤にした、地域の有力者と考えられるという。

 韓国では1980年代ごろから前方後円墳に注目が集まり始めた。研究機関の調査により、光州広域市や全羅南道(ぜんらなんどう)地域(咸平郡や海南郡など)で前方後円墳が確認されている。

 研究者によっては判断が分かれる古墳もある中で、坂総括学芸員が前方後円墳と判断した古墳は計12基。うち新徳1号墳(咸平郡)は、全長約51メートル。横穴式石室と周濠、葺石(ふきいし)を持ち、金銅製の冠片や鉄刀、馬具、玉類などの副葬品が出土している。

 月桂洞1号墳(光州広域市)は全長約45メートル。横穴式石室と周濠、埴輪(はにわ)を持ち、鉄斧や鉄鏃なども見つかった。また、最も大きい長鼓峯古墳(海南郡)は全長77メートルで、横穴式石室と埴輪が確認されている。

 前方後円墳は大和政権のシンボルとされ、日本国内では北は岩手県から南は鹿児島県まで、数多く点在する。

 当時、朝鮮半島の南西部を支配していたのは百済だが、中央集権体制は確立されておらず、その領土も明確ではなかったという。そうした中、朝鮮半島と日本(倭)の間を自由に往来する集団がいたとみられ、前方後円墳の被葬者については倭人将軍説や、亡命倭人説、百済王権内の倭人官僚説など、諸説がある。

 坂総括学芸員は「前方後円墳の起源が日本列島にあることは疑う余地がない」とした上で、「被葬者は在地首長に次ぐ立場の人物。日本列島との深い関わりを示すために、前方後円墳の墳形を採用したのだろう」としている。

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