天皇の島から 戦後70年・序章(6)前半

「南太平洋に慰霊に行きたい」 何度もご提案で実現

【天皇の島から 戦後70年・序章(6)前半】「南太平洋に慰霊に行きたい」 何度もご提案で実現
【天皇の島から 戦後70年・序章(6)前半】「南太平洋に慰霊に行きたい」 何度もご提案で実現
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 戦後50年となった平成7年、天皇、皇后両陛下は強い希望をかなえ、広島、長崎、沖縄、東京・下町への「慰霊の旅」を果たされた。しばらくたったころ、陛下は、侍従長だった渡辺允(まこと)さん(78)に「『南太平洋』に慰霊に行きたい」と相談された。

 南太平洋というのがミクロネシア地域、国でいえば、パラオ共和国、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島を指されているのは明らかだった。いずれも先の大戦時には日本の委任統治領で、米軍との攻防で甚大な戦禍に見舞われていた。

 海外での慰霊は周囲には唐突に映ったかもしれないが、陛下は長年にわたってお考えを温められてきたのだろう。実際、7年の慰霊の旅の後に出された感想の文書では、「遠い異郷」という言葉を使い、海外の犠牲者や遺族への追悼の思いをつづられている。

 側近中の側近の侍従長を10年半にわたって務めた渡辺さんも「陛下は、風呂敷を広げて行動することはなさらない。黙ってよく考え、やると言ったら必ずやり、ずっと続けられる。海外での慰霊を以前からお考えになっていなかったはずはない」と話す。

 ただ、「慰霊の旅」は国内でも異例のことだった。ましてや両陛下の外国ご訪問となれば、友好親善が目的で、慰霊目的というのは前例がない。

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