大阪ファッションを探せ(3)

派手好みの系譜をたどってみると(下)明治〜大正〜昭和 モガが美を競った心斎橋 

 奇抜な柄や原色など派手好みといわれがちな大阪人。その源流を探っていくと、江戸時代には、上方の女性たちが、個性的な和装の着こなしや髪形を楽しんでいた様子が垣間見えた。そして、明治、大正と時代が進み、大阪が初めて日本最大の都市となり「大大阪」と呼ばれた大正後期。女性たちの個性的なおしゃれが花開いていく。 (木ノ下めぐみ)

心ブラ楽しむモガたち

  明治時代に入ると、大阪は工業や商業など産業が発展、大正14(1925)年には、大阪市は合併により人口が200万人を超え、東京市を抜いて日本第1位、世界第6位の大都市へと成長した。「大大阪」時代の到来だ。昭和8(1933)年には心斎橋-梅田を結ぶ日本初の公営地下鉄も開通した。

 文化も大きく花開いた。大大阪時代の心斎橋には大丸やそごう、長堀には高島屋(後に難波に現・大阪店を開店)など百貨店が立ち並び、ファッションの最前線。流行のおしゃれに身を包む「モダン・ガール(モガ)」たちが街を闊歩(かっぽ)した。長堀川にかかる心斎橋から道頓堀川をまたぐ戎橋に至るまでの700メートルほどの商店街には呉服店や喫茶店、小物を扱う店が軒を連ね、買い物を楽しむ人たちがそぞろ歩き。東京・銀座の「銀ブラ」に対抗し「心ブラ」と称され、心斎橋筋は多くのモガたちでにぎわった。

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