ふるさとを語ろう

Jパワー副社長・坂梨義彦さん 福岡

 ■歴史調べ、より深く知った大牟田

 実家は福岡県大牟田市の商店街にある畳屋です。子供のころの友人には、親が炭鉱関連の企業に勤める人もたくさんいましたが、商店街の仲間とは異なる文化でしたね。

 まず、会社の幹部である転勤族は丘の上にあるしゃれた社宅に住んでいました。われわれのいで立ちは、継ぎの当たった長ズボン。彼らは半ズボンにハイソックス。多くがピアノやバイオリンを習っていました。「誕生パーティー」にも呼ばれたりしましたが、「それって何ね?」というのが商店街の子息の反応でした。

 炭鉱住宅に住む家庭も、坑内で命がけの仕事をしている父親のおかげで裕福。大半が小学生ころから塾に通っていました。でも、父親は怖い存在のようでした。友人宅で遊んだ際、父親が帰宅する時間が近づいてくると追い出されることもありました。

 一方、わが家は朝から晩まで「畳屋の大将」である父と一緒。盆・正月前の繁盛期には残業になる職人さんと大きな鍋を囲んで、にぎやかな夕餉(ゆうげ)でした。

 高校は三池高校に進学します。近所のインテリ老夫婦が自宅で教えている塾を母が見つけて通わせてくれました。英語を教えてくれた塾長はご主人で、元新聞記者。英文法にしても教科書とは全然違う独自の解釈を学びました。一事が万事、そんな感じの教育内容で、自分で調べ自分の頭で考えることを習得しました。私の人生で、大きな影響を受けた1人です。

 進路についてはフラフラしていました。中学時代から「哲学少年」だったのですが、姉から「哲学科に行ったって嫁さんを食わせられない」と諭され、結局、塾長の母校でもある京大経済学部に進学します。

 卒業という段になって、九州に戻って親に恩返しでも、と就職活動を始めたところ電源開発(Jパワー)の存在を知りました。三島由紀夫の小説に「沈める滝」という作品がありますが、主人公の勤務先のモデルが当社です。冬場のダムの建設現場に東京から女性が追っかけてくる内容なので「格好良い会社」と単純に思っていました(笑い)。

 最初の赴任地は広島県にある竹原火力発電所です。水力発電しかイメージしていなかったため、「石炭火力?」といった反応です。でも、現地に足を運んでみて、わが故郷にある三池炭鉱の石炭を最も購入しているのはJパワーであることがわかりました。初めての出張もなんと大牟田で、坑内を案内してくれました。すごい縁を感じましたね。

 私は高2の修学旅行まで、九州から一歩も出たことがありませんでしたし、「自分は大牟田そのもの」といった自負もありました。しかし、私の認識を超えたもっと深い大牟田があることを、特にこの10年ぐらいで知るようになりました。会社で重い役職に就くようになり、自然といろいろな歴史を調べるようになったのが契機です。

 「大東亜戦争」は、離れられない重いテーマのひとつです。やがて炭鉱の歴史も調べるようになり、研究書や写真集を読みあさりました。

 炭塵(たんじん)爆発のことはその時の街の異様な雰囲気をかろうじて覚えており、三池争議についてはわずかな知識として知っている程度でした。ですが、関連の小説や映画、産業遺産に触れていくうちに、すさまじい内実や一種の文化を築きあげたことについて、識るようになりました。

 こうした勉強を通じていろいろ新しいご縁ができますし、より深い次元で「ふるさと大牟田」を愛することができると感じています。

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 次回はパイプドビッツの佐谷宣昭社長が登場する予定です。

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【プロフィル】坂梨義彦

 さかなし・よしひこ 福岡県立三池高校、京都大経済学部卒。昭和51年Jパワー(電源開発)入社。執行役員、取締役、常務を経て平成21年6月から現職。60歳。福岡県出身。

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