話の肖像画

エッセイスト・玉村豊男(2)居心地よいパリのカフェ

 東京都杉並区で生まれ、育ちました。僕が子供の頃はまだ武蔵野の面影が残っていました。父(日本画家の玉村方久斗(ほくと))も母も再婚同士で僕には兄弟がたくさん。父は僕が小学校に上がる前に病死したので、その後は、母が父の絵を売り、年の離れた兄たちの仕送りで生計を立てていました。末っ子でかわいがられましたが、大勢の家族に囲まれて育った反動か「みんなと一緒になりたくない」「絵を描いたり字を書いたりしていたい」と言っていたそうです。

 小学校の頃から成績は良くて、絵も好きで描いていました。父が生前、僕に唯一言った言葉は「ソラで描くな」。空想で描かず、きちんとものを見て写生しろという意味です。中学と高校では美術部で、部長もつとめました。

 先生は「浪人すれば東京芸術大学に入れる」と勧めてくれましたが、僕よりうまい人はたくさんいます。絵で父親を超えられるはずもない。才能がないと思って、進学校だった周囲と同じように東大受験に的を絞ります。数学が苦手だったので、1浪の末に合格しました。

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