静岡 古城をゆく

大平新城(沼津市大平) 2城一体化、北条氏の力再認識

 沼津市の狩野川流域西岸に位置する大平新城の地は、今川義忠正室の北川殿菩提(ぼだい)寺である桃源寺があるように、元来今川氏の守護領だった。おそらく、この城もその支配拠点として築城されたのであろう。

 戦史によると、永禄12(1569)年、今川氏真が駿府・掛川を追われて「大平」へ入り、同城を改修したことが分かる。

 天正9(1581)年、駿豆国境で武田勝頼と抗争を続けていた小田原北条方の戸倉城主・笠原新六郎が突然武田方に内応。北条方は大平まで前線を後退させ、北条氏光を同城に配した。武田方となった新六郎は、早速大平に押し寄せ、『北条記』によれば、300余騎を率いた新六郎を、北条勢が北の出城山で迎え撃ったが「散々に懸負、大平へ引返す」とある。

 同城は、南の大平山から延びる支尾根が、狩野川に迫る先端丘陵上にある。北麓の円教寺と墓地の造成で改変されたが、北条流の障子堀と主要曲輪も認められ面影を辛うじて考察できる。城域は南北320メートルと広いが、南域は痩せ尾根上にわずかな曲輪と堀切が2条のみで、背後の大平古城とつながっていたようだ。

 こうした2城が一体化した機能・運用を考えると、北条氏という強大な戦国大名にふさわしい山城であったことが再認識され、興味深い。(静岡古城研究会会長 水野茂)

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