テレビマンに聞く

「ブッチャー小林」こと小林豊さん(上)アルバイトのつもりが「一生の仕事」に…

フジテレビの社内野球大会でサードを守る小林豊さん=昭和55年ごろ、神宮球場
「ブッチャー小林」こと小林豊さん(上)アルバイトのつもりが「一生の仕事」に…
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私の親父(おやじ)は、静岡県清水市(当時)の漁業協同組合で働いていました。小学校の頃、毎日午前3時半に出勤する親父のスクーターの後ろにちょこんと乗って、一緒に魚市場に行く。当時の清水港は活気があり、船が次々に入港してマグロやカツオが水揚げされていました。若い衆が私をかわいがってくれましてね。大きくなったら、魚市場で働くと信じ込んでいました。でも、中学3年のときに親父が突然亡くなり、自分の中で魚市場は遠い存在になってしまった。

さらに私は高校受験に失敗し、同級生はみんな高校に進む中、自分1人だけ中学浪人になってしまった。これはショックでした。

翌年、私は県立清水東高校に入学し、野球部に入ります。秋頃、新人戦に向けて猛特訓を受けていたとき、ノックのボールが私の目を直撃。突然幕が下りたみたいに周りが真っ暗になりました。3日間入院して、以後、視力が大幅に落ちた上に、恐怖で地をはうようなボールが取れなくなった。野球部の同期に、後に大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)で活躍する山下大輔君がいて、圧倒的な才能の差を感じていたこともあり、私は野球部を辞めました。

自分はいったい何者なんだろう。何がしたいんだろう。魚市場で働く夢も大好きだった野球の道もなくし、ずいぶん悩みました。

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