遺伝子の仕組みは大腸菌からヒトまで共通だというのだ。衝撃だった。
一念発起し、生物学に転向するため薬学部へ転部。そのまま大学院に進み、生化学の研究の道に入った。
ライバルに先を越され…
森さんが分子生物学に取り組み始めたのは、大学院を終えて岐阜薬科大で助手を務めていたときの一大決心が始まりだった。
「当時、大学の助手という常勤ポストは恵まれていた。しかし…」。上司の指示で進めていた生化学の研究は、どうも展望が見えない。それよりも最先端の分野である分子生物学に取り組んでみたい-。
「後悔したくない」。そう思い、安定した仕事を辞めて米国への留学を決意した。平成元年4月、周囲の忠告を振り切って、前年に結婚したばかりの妻と2人で渡米。テキサス大のメアリー・ジェーン・ゲティング博士らのもとで、研究員として仕事を始めた。
米国で出会ったのは、生涯のテーマとなる「小胞体ストレス応答」(UPR)と呼ばれる現象。そして、森さんより4歳年上で当時すでに分子生物学のエースだった米カリフォルニア大サンフランシスコ校のピーター・ウォルター教授だった。
ヒトを含めた生き物の細胞内では、核の中にあるDNAが持っている遺伝情報に従って、生命活動に必要な数多くのタンパク質が作られている。その際、何らかの理由で異常なタンパク質が生成されてしまうことがあり、これが増えると細胞に悪影響を与える。そうならないよう、細胞内にある「小胞体」で異常なタンパク質を修復したり処理したりする仕組みがUPRだ。
森さんは持ち前の情熱で研究に取り組み、細胞内で異常なタンパク質を感知するセンサー役の分子「IRE1」を発見。画期的な成果だった。しかし、機能を詳しく調べて論文にまとめようとしていた矢先、ウォルター教授による「IRE1を発見した」との論文が米国の一流科学誌「セル」に掲載されたのだ。
「先を越された…」。ただ、ウォルター博士の論文は「IRE1を見つけた」というだけで、機能などには触れていなかった。森さんは悔しさを押し殺し、IRE1についての詳細な論文を投稿。2カ月後、同じセル誌に掲載されるという異例の展開となった。渡米4年後のことだった。
今では「ハグする仲」に
平成5年、日本に戻った森さんは、産官共同プロジェクトで京都に設立されたエイチ・エス・ピー研究所でUPRの研究を続ける。8年には、センサー分子の感知を受けて異常なタンパク質を処理する物質「シャペロン」を増加させる分子「HAC1」を発見。この分野の研究を前進させる重要な成果だった。