歴史のささやき

あり得ない弥生人骨の出現 山口

 □土井ケ浜・人類学ミュージアム名誉館長 松下孝幸氏

 わが目を疑った。

 このような弥生人骨が「土井ケ浜遺跡」から出土するはずがない。昭和57年10月26日のことである。私は土井ケ浜遺跡の第7次調査に参加していた。憧れの遺跡であり、土井ケ浜遺跡の発掘調査に参加することができただけでも奇跡に近い。

 目の前に、2千年の眠りから覚め、まさに出土しようとしている人骨がある。はけやブロアーを使い、顔面を覆っていた砂を慎重に取り除いた。保存状態はきわめて良好である。

 ブロアーで鼻根部(鼻の付け根)の砂を吹き飛ばした瞬間、目がくぎ付けになり全身がフリーズした。鼻根部が深くくぼんでいる。これまでに見つかった土井ケ浜弥生人の特徴ではない。

 土井ケ浜遺跡の発掘調査は昭和28年から32年までの間、5次にわたる発掘調査がおこなわれ、約200体もの弥生人骨が出土した。当時、弥生人骨の出土は全国でも皆無に近かった。その後の研究の成果で、土井ケ浜弥生人は、顔が高く(長く)、顔面は扁平(へんぺい)で、高身長であることが判明した。

 ところが、私の目の前にある人骨は、これまで発掘されたものと、あまりに顔つきが違う。

 「この土坑墓は本当に弥生時代のものですか?」

 山口県教育委員会の担当者に思わず聞いてしまった。担当者は不可解な表情で「弥生時代の墓ですけど、どうしてですか」と問い返した。

 「実はこの人骨の顔面には土井ケ浜弥生人の特徴はみられず、どうみても縄文人の顔なんです」

 これが私が土井ケ浜遺跡で出会った初めての人骨(701号人骨)だった。

 この時の衝撃は鮮烈で、今も目を閉じると、そのときの光景が蘇る。

                   ◇

 701に寄り添うようにして埋葬されていた人骨(702号人骨)は、これまで知られている土井ケ浜弥生人そのものだった。どちらも男性だが、顔もプロポーションも対照的で、異質である。

 701は、顔の高さ(長さ)が短く、横幅が広い。「低・広顔」という。眉の上「眉上弓」が隆起し、鼻骨も隆起しているので、鼻の付け根(鼻根部)が陥凹(かんおう)している。いわゆる彫りの深い容貌だ。身長は158・8センチしかない。これらは縄文人の特徴なのである。

 一方、702は、顔が高く(長く)、横幅が狭い「高・狭顔」だった。鼻は低く、鼻根部は扁平で、彫りが浅い。身長は165・9センチもあった。

 これほど身体的特徴が違う弥生人が、なぜか寄り添うようにして、埋葬されている。一体、この2人はどのような関係にあったのであろうか。

 土井ケ浜弥生人のなかには701のような縄文人的形質をもった人骨は他にないのだろうか。もし、この1体だけとしたら、701とは一体何者なのであろうか。第7次調査を終え、土井ケ浜遺跡を後にしても、このような疑問が次から次へとわき上がった。

 土井ケ浜弥生人のルーツを探る、長い旅がこの瞬間、始まった。

 まさか、土井ケ浜弥生人が沖縄などの琉球列島や大陸と深い関係があろうとは、この時は予想もしなかった。

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 九州・山口地方は長い歴史に彩られ、往時をしのばせる遺跡や遺物、伝承も多い。こうした歴史のささやきに、耳を傾けてきた専門家の話を聞く。(随時掲載)

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