「訓練ではなく、常に実戦を行っている機雷処理の実戦部隊。隊員の経験と技量には自信を持っています」。海上自衛隊下関基地隊(山口県下関市)の司令、中尾典正1等海佐(55)は言い切った。
先の大戦で、沖縄への補給阻止と海軍艦隊の出撃封鎖の狙いで、米軍は関門海峡に機雷を投下した。沖縄に出撃した戦艦大和は関門海峡を通れず、豊後水道を南下し、米潜水艦に発見された。
沖縄戦終結後も大陸からの補給路を絶つため、空襲を激化させた。米軍が日本近海に敷設した機雷約1万1千個のうち、約5千個が関門海峡に投下、海峡一面が機雷で埋め尽くされた。
以後、名称や所属は変わっても基地隊の任務は一貫して関門海峡の航路啓開にある。これまでに処理した機雷、爆弾は約28万個、500トンに上る。
戦後、作業中に79人が殉職し、その約半数が対馬などを含む関門海峡近海だった。機雷を爆破させる水中処分員に対し、「安全管理の要諦を押さえろ。安全第一、命が一番、焦るな。だめだったら別の方法に変えろを徹底しています」と中尾1等海佐。これほど、この言葉がふさわしい司令もいないだろう。
海峡の船舶航行を制限する機雷処理も年に数度行われ、爆弾などを合わせると毎年約1・3トンを処理している。いまでも約1700個の機雷が残っていると推定されるが、実際には「不明」という。戦後69年。下関基地隊の任務に終わりは見えない。