みちのく昔話 伝説を訪ねる

座敷童(岩手・二戸市)

 ■観光客を引き付けた「守り神」

 座敷童(ざしきわらし)は明治43(1910)年に民俗学者の柳田国男(やなぎたくにお)が著した「遠野物語」で知られるようになった。

 主に岩手県内の旧家にすみついて家を守るとされる神霊で、出会った人は幸運に恵まれるとされ、男性は出世し、女性は玉の輿(こし)に乗るといわれている。

 そんな県内の座敷童の中で最も有名なのが、県北部の二戸市の金田一温泉にある温泉旅館「緑風荘」に住み着いたとされる「亀麿(かめまろ)」だろう。その由来は南北朝時代の1300年代までさかのぼる。

 南朝の武将が北朝の足利尊氏に敗れ、落ち武者となって大和国(現・奈良県)から武蔵国五日市(現・東京都あきる野市)、さらに陸奥国(元・二戸市金田一)まで落ち延びた。この武将には6歳と4歳の男の子がいたという。

 ところが、陸奥国まで落ち延びる間に兄の「亀麿」が病にかかり亡くなった。その死の床で「末代まで家を守り続ける」と言って息を引き取ったという。「亀麿」の霊が奥座敷に住み着き、「家の守り神」になっていたずらをするようになったと伝えられている。

 「昭和17、18年ごろの話です。旧制福岡中学の同級生に緑風荘の縁者がいました。座敷童が有名になる前の時代です。その縁者に同級生数人が頼み込んで、安い値段で泊まりました。全員が深夜に布団の上から胸を押さえられて息苦しかったと話してました。でも、何も見えなかったと言うんですよ」

 こう話してくれたのは元教師で、二戸市市史編さん嘱託員の奥昭夫さん(84)。

 「遠野物語でいろいろと言われていますが、とにかく、身近な当たり前の存在で、何か分からない者がいるという感覚でした。神霊というより、罪のないいたずらをする精霊のような存在でしたね」という。

 座敷童の「亀麿」のおかげで3年先まで予約でいっぱいだったという緑風荘は平成21年10月4日に火災で全焼した。23年10月発行の二戸市物語で緑風荘の「亀麿」の健在をアピールする一文を寄稿したのは奥さんと同じ元教師で、二戸市市史編さん嘱託員の西村美代子さん(79)だ。

 緑風荘を経営する五日市洋社長の兄弟4人が教え子という西村さん。

 自ら関係者に取材し、「火事のとき、(亀麿が)とことこと、緑風荘の敷地内にある亀麿神社の鳥居をくぐっているところを見たという複数の証言を得ています。亀麿は現在、神社にいるはずです」と断言する。

 来年秋には緑風荘も再建される見通しという。

 二戸市ゆかりの芥川賞作家、三浦哲郎(1931~2010年)が「亀麿」をモチーフにしたとされる「ユタとふしぎな仲間たち」は劇団四季の人気ミュージカルにもなっている。

 「ユタとふしぎな仲間たちで多くの観光客を引き付けてきた『亀麿』は、金田一温泉の守り神だったのかもしれませんね」と話すのは奥さん。座敷童は岩手を語るに欠かせない存在でもある。(石田征広)

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【メモ】

 二戸市内には戦国末期、豊臣秀吉に反旗を掲げた九戸政実(まさざね)の居城だった九戸城跡がある。国の史跡で、東北最古の石垣も見つかっている。八幡平市浄法寺地区は日本一の漆産地で知られている。浄法寺歴史民俗資料館で漆の歴史を分かりやすく学べる。また、浄法寺地区には瀬戸内寂聴さんが名誉住職を務めている古刹(こさつ)の天台寺もある。春と秋の例大祭には多くの信者らが訪れている。

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