みちのく昔話 伝説を訪ねて

阿古耶姫伝説(山形市)

 ■悲恋物語、二代目の松が伝える

 山形市街地の東端に位置する千歳山は、山形の街並みを一望できる市のシンボル的な存在。頂上まで1時間ほどかかり、散策コースとしてはかなりきついのだが、猛暑が続いたこの夏もたくさんの人が登った。

 登り口から北側に回った山裾に万松寺(ばんしょうじ)がある。寺には阿古耶(あこや)姫の悲恋伝説が伝えられ、今も二代目の「阿古耶の松」が枝を風に揺らせている。

 昔、現在の宮城県の郡司だった中納言藤原豊充の娘に、和歌や琴に優れた阿古耶という姫がいた。あるとき琴を奏でていると、それに合わせるように笛の音が聞こえ、松の前で若者が笛を吹いていた。若者は名取太郎と名乗った。太郎は阿古耶が琴を弾くたびに現れるようになり、やがて二人はちぎり合う仲になった。

 そんなある日、沈んだ表情で現れた太郎は、実は自分は最上(もがみ)の国(山形県)の千歳山の老い松なのだが、名取川(宮城県)の橋が流されたので、その橋材にするため切られることになったと打ち明け、姿を消す。

 老い松は切り倒され、運ぼうと大勢が力を出したがびくともしない。「阿古耶姫の手を借りれば動かすことができる」との託宣があって阿古耶に来てもらい、阿古耶が変わり果てた太郎の姿に涙を流しながら触れたところ、松は滑るように動き出し、名取川の岸までたどり着いたとされる。

 阿古耶は切られた跡に若松を植え、万松寺を建てて菩提(ぼだい)を弔ったという。切られた松と一緒に阿古耶が峠を越える際、互いにささやき合ったことから、山形・宮城県境の峠が「笹谷(ささや)峠」になったとも伝えている。

 この阿古耶の松は、平安時代から歌枕として詠まれてきた。

 万松寺の境内は木陰が覆い、真夏でもひんやりする。セミが鳴き、木陰を求めてかアゲハやチョウが何匹も舞っている。

 住職の平清水(ひらしみず)公宣(こうせん)さん(62)によると、阿古耶が植えたとされる松は江戸時代に枯れてしまったが、明治天皇が山形を巡幸(じゅんこう)された際にそのことを知り、天皇の言葉に従って今の松が植えられた。「二代目」が付く由縁である。

 住職は「若い女性グループなどがよく来ます。縁結びの寺でもあるが、悲恋の言い伝えのせいか男女のカップルは少ないようだ」。

 千歳山の登り口近くには、山形名物の玉こんにゃくで有名な千歳山こんにゃく店がある。昭和元年創業。藍染めののれんが風に揺れ、風鈴が涼しげに鳴る。中に入ると映画の寅さんの世界といったところ。しょうゆで煮込んだ玉こんにゃくのほか、サイダー、ラムネ、かき氷と、懐かしいメニューが並ぶ。

 女性店員は「土日は家族連れ、朝は4時、5時から年配の人が何人も千歳山に登ってますよ。みなさん、鍛えてらっしゃるね」と教えてくれた。

 反対側の南麓は焼き物の里。江戸時代からの歴史を誇る平清水焼の窯元が並ぶ。明治時代には30軒もあったというが、今は3軒だけ。緑に覆われ、空気が止まっているように静かだ。平安時代このかた、時間がゆったりと流れている。(本間篤)=随時掲載

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