■傷病兵への手厚い保護の表れ
箱根登山鉄道の風祭駅はかまぼこで有名な「鈴廣」の企業城下町だ。改札口を出て左へ進むと、同社の本店や博物館、レストランが軒を連ねる国道1号に出る。
だが、今回目指すのは逆側。山の方を振り返ると白地に緑で「独立行政法人 国立病院機構 箱根病院」と書かれた看板が見える。細い階段を上りきると、今年完成したばかりの真新しい病棟が眼前に広がった。昭和11年に建てられ、白壁にとんがり屋根がトレードマークの「箱根療養所」はその右奥に、控えめにたたずんでいた。
◆脊髄損傷専門の療養所
箱根病院の前身となる箱根療養所は、戦争により手足を失い、生活困難となった傷病兵を収容した明治40(1907)年設立の国立保護施設「癈(はい)兵院」(東京都)が起源となる。昭和9年に傷兵院と改称され、11年に現在地に移転。15年には傷兵院の一部を改造し、国内唯一となる脊髄損傷専門の「傷痍軍人箱根療養所」を併設した。
現存する建物は療養所の管理棟だった部分で、赤いじゅうたんやシャンデリアがそのまま残されている。現在も会議室や職員の休憩室として現役であるため、中に入ることはできないが、外観を見学することができる。
小森哲夫院長(61)は「(療養所の)開所式には内務大臣も訪れた。国が傷病兵に対する手厚い保護をしていたことの表れだった」と療養所の歴史的意義を強調する。
◆思いは現在に続く
療養所にきた患者の多くは下半身まひという重度の障害を抱え、日常生活の介護が必要だったため、戦前から妻や母親など家族との同居が許されていた。20年の終戦後には「国立箱根療養所」と改称され、一般患者に開放された後も、平成20年に傷病兵の入院が終了するまで家族との同居スタイルは続いたという。
現在は神経難病医療と筋ジストロフィー医療が中心という箱根病院では21年、神経難病患者が一時入院するレスパイト入院を開始。一時入院によって介護に当たる家族の負担も軽減している。小森院長は「傷病兵に対する療養形態が現代医療のモデルになり、(病院のコンセプトである)『いのち輝く、癒しの病院』につながっている」と話す。
療養所で使われた「箱根型車いす」や患者が生活の糧に作った竹細工は東京・九段にある戦傷病者史料館「しょうけい館」に寄贈され、同館で見学することができる。(古川有希)
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【用語解説】しょうけい館
傷病兵とその家族が戦中・戦後に体験したさまざまな苦労についての証言を中心に多数の歴史的資料を展示する国立施設。平成18年開館。箱根療養所の展示コーナーは2階の常設展示室にある。1階には図書閲覧室や証言映像シアターのほか、企画展を不定期開催。現在は同館所蔵の資料や実物を通して義肢の歴史をたどり、作業用義肢を装着して第二の人生を歩んだ傷病兵の苦労をしのぶ夏の企画展「義肢に血が通うまで-戦傷病者の社会復帰と労苦-」を開催中(9月15日まで)。東京都千代田区九段南1の5の13、ツカキスクエア九段下。午前10時~午後5時半。入館無料で月曜休館。(電)03・3234・7821。