【挿絵で振り返る「アキとカズ」】(20)産経新聞さえもが北朝鮮・帰国事業を絶賛していたころ

「アキとカズ」第112回(挿絵・井田智康)
「アキとカズ」第114回(挿絵・井田智康)
「アキとカズ」第110回(挿絵・井田智康)
「アキとカズ」第111回(挿絵・井田智康)
「アキとカズ」第113回(挿絵・井田智康)

 産経新聞の連載小説「アキとカズ」は、いよいよ折り返し地点に近づき、カズは帰国事業で北朝鮮へ。アキは樺太に残された日本人、朝鮮人の引き揚げ運動に全力を注いてゆく。

 「幻の祖国に旅立った人々 北朝鮮帰国事業の記録」(小島晴則編、高木書房)という貴重な記録がある。当時、新潟の帰国協力会事務局長として、事業を支援した小島さん(※「アキとカズ」のモデルの一人)が中心となって発行していた「新潟協力会ニュウス」(昭和35年~39年)をまとめたものだ。

 改めてこれを見ると、当時の日本社会の「空気」がよく分かる。政、官、メディアを挙げて、お尻がこそばゆくなるほどの美辞麗句を並べ、北朝鮮を絶賛し、帰国事業を後押ししていたのだ。

 例えば、帰国第1船が出た(34年12月14日)直後に北朝鮮を訪問した日本記者団の一員だった共同通信記者の講演録「朝鮮を訪ねて」。《(平壌は)清潔な街、チリ一つない街》《(金日成首相は)ザックバランな人です。そして非常に勉強家です》《いわゆる日本人妻の事ですが、これには特に深い配慮がなされています。何の不自由もないものでした》

 この絶賛報道は共同通信に限ったことではない。わが産経新聞記者も北朝鮮を訪問し、帰国船が着く清津港でも歓迎ぶりや、帰国者が入る宿舎の様子や経済力を好意的にリポートしていた。他のメディアもほとんど変わりがない。

 「新潟協力会ニュウス」36年6月1日号の1面の写真を飾っているのは、帰国事業を熱心に支援した政治家のひとりである小泉純也・帰国協力会代表委員(当時、自民党副幹事長)。小泉純一郎元首相の父親である。前号には、純也氏の新潟港での挨拶文もあった。《(略)私どももこの人道主義の偉大な事業を守り、成功的に事が運ばれるように今日までご協力申し上げてきました…》

 小島さんは後に、拉致被害者家族と一緒に首相時代の純一郎氏に面会したとき、この記事のコピーを手渡した。「幻の祖国に旅立った人々」によれば、そのとき、純一郎氏はちょっと驚いた顔をして「あ、親父だ…」と言ったという。

 だが、帰国事業が2年目、3年目を迎えると、「新潟協力会ニュウス」に次第に「帰国者が減っている」「手紙がなかなか来ない」などと言ったネガティブな印象の記事がちらほらと見えるようになる。

 小島さんはその後、2度訪朝し、帰国者の実態を垣間見たことから、事業に疑問を抱き、協力会の仕事を辞める。そして、現在はまったく反対の立場から、日本人妻の帰国や拉致問題の活動に取り組んでいる。

 「幻の祖国に旅立った人々」の中で小島さんはこう振り返っている。《今から見れば帰国事業とは何だったのかと思い、私は悩み、懺悔の気持ちを抱きますが…でも、当時はそういう時代の空気が確かにあったのです》と。

(「アキとカズ」作者、喜多由浩)

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