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湯河原の「重光葵記念館」 神奈川

 間もなく終戦記念日。太平洋戦争はポツダム宣言受諾後の昭和20年9月2日、東京湾に停泊した米戦艦ミズーリ号で降伏文書の調印式が行われ、正式に終結した。このときに日本側を代表して署名したのが重光葵(まもる)外相(当時)で、かつて別邸があった湯河原町には現在、記念館が建っている。

 JR湯河原駅から奥湯河原行きのバスで約20分。終点で下車し、セミの鳴き声を聞きながら登り坂を少し歩くと、木々に囲まれた白い建物が見えてきた。

 玄関で入館料を支払って靴を脱ぎ、庭園に面した明るい展示室へ。展示室は1階の3室分で、明治20(1887)年に大分県で生まれて東京帝国大学を卒業後、戦前から戦後にかけて外交官や政治家として活躍した重光の関連資料や写真パネルなどがいくつも並んでいる。

 中でも目を引くのが、重光が使った机の脇に立てかけてある義足だ。重光は昭和7年4月、中国・上海で天長節(現在の天皇誕生日)の式典中に、朝鮮独立運動家の爆弾テロに遭って右足を切断。その際に皇室から贈られたものだ。

 重光の孫で館長の進さん(56)によると、重光は大きな外交交渉に臨む場合に必ずこの義足を使い、ミズーリ号に出向いたときも履いていたという。

 このほか、戦前の英国大使時代や戦後の日ソ交渉、国連加盟時に使用したカバン▽戦時中の小磯国昭内閣時代に開かれた最高戦争指導会議の記録▽戦後に著した「昭和の動乱」の草稿▽モスクワでの日ソ交渉時の日記-など、近代日本外交史の貴重な資料を間近に見ることができる。

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