拉致再調査

拉致被害者・松木薫さんの姉、斉藤文代さん

 ■「あいたい」と病床で書き続けた亡母 

 熊本市出身の拉致被害者、松木薫さん=拉致当時(26)=の母、スナヨさんが今年1月、愛息の帰国を待たずに92歳で亡くなった。薫さんの姉、斉藤文代さん(68)は、最期まで再会を願い続けた亡母の思い出を胸に「今は政府を信頼して待つしかない。責任を持って交渉をやり遂げてほしい」と日本人拉致被害者らの再調査への期待を語った。(谷田智恒)

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 薫は、私を含めた4人姉妹に続いて、松木家待望の長男として生まれました。薫が北朝鮮に拉致された後、父は次女の息子、信宏を養子にしました。家族会には、私と、弟となった信宏が中心となって参加しています。

 薫は母が渡した小遣いをため、帰省時にそのまま菓子箱に詰めて母にプレゼントする心優しい子でした。

 しかし、欧州留学中、日航機「よど号」乗っ取り犯の妻らによって言葉巧みに北朝鮮に連れ去られたのです。

 北朝鮮は、日本政府の調査団に「1996年8月23日に高速道路で事故死」と伝えました。2002年と2004年の2度にわたり、薫の「遺骨」とされるものを出してきました。ところが、2002年の骨は高齢女性のものでした。2004年の遺骨をDNA鑑定した結果は、動物の骨や何人分かの遺骨が混ぜられたものでした。こんなひどい話があるでしょうか。

 ただ、政府調査団が2002年に持ち帰ってきた写真は事実だ、と直感しました。ネクタイの締め方に見覚えがあったのです。

 薫は父からネクタイの締め方を教わっていましたが、父の変な癖も一緒に学び、斜めにゆがむ癖があったからです。やはり親子だなあと思いました。

 また、薫が働かされた特殊機関内の学校の様子に、薫ならではと感じさせるエピソードがありました。

 薫は、世話係の女性に、よくカレーを作って振る舞ったそうです。これは母譲りです。薫が帰省した際、母がよくカレーを作って食べさせていました。薫は故郷と母を思い出し、振る舞っていたのでしょう。

 また、教え子が「薫は、はにかみ笑いをしていた」と話したそうですが、薫は確かに、よく恥ずかしそうに笑っていました。

 薫はとても良い先生だったそうです。そこまでわかっていながら、なぜ助けてもらえないのだろうか、と残念でなりません。なぜ解決しない…

 1月に亡くなった母は、薫に関してはひと際、愛情があった。

 認知症が進み、10年以上前から入院しましたが、会話ができる時は、私に「奥さん、奥さん。家でご飯を炊いてありますから、薫に肉料理を作ってあげてください。主人には魚料理がいいと思います」と語りかけました。

 私が「いいわよ。肉料理ならなんでもいいのね」と言うと、母はこう答えたのです。

 「何でもいいから、肉をたくさん食べさせてあげて。若いからね」

 拉致された当時の、若い薫の姿しか頭になかったのでしょう。

 吐血して病院に運ばれたときも、医者からは神経、ストレスから来ているといわれました。胃の中がただれて、噴火口のようでした。「母はこんな苦しい思いで、薫が帰ってくるのを待っているんだ。なぜ拉致問題が解決しないのだろうか」と、つくづく思いました。

 ある日、病室で母が「ペンを貸してちょうだい」というので、渡しますと、ベッド近くに置いてあった紙や冊子に書き出すんです。

 震えた文字で「かおる、あいたい、スナヨ」と。

 (横田)めぐみちゃんの母、早紀江さんの様子を見ると、母を思い出し、胸が痛くなります。

 (拉致問題は)今年になって急に動き出したけれど、今の状況を早く作ることができれば、薫たちはもっと早く帰国できたのではないでしょうか。総理が何人もかわる中で、何ともったいない時間を送ったのかと思います。

 今度こそ花を

 薫についてはとにかく他の拉致被害者と比べて、情報があまりにも少ない。何も知らされないことが一番つらい。

 弟のために私ができることは国民世論に訴えることしかありません。

 2004年以降動きがない中、よど号ハイジャック犯(田宮高麿最高幹部=故人=と妻の森順子(よりこ)容疑者)の息子(森大志氏)が、東京・三鷹市議選に出たりしています。「どの面下げて」と憤慨しました。

 子供にしてみれば「親は悪いことしていない」と信じているかもしれないが、現実はそうではない。「拉致被害者を取り戻すために、先頭に立って署名します。北から薫さんらを連れて帰ります」と訴えればよい。

 また、そんな人物を擁立した政治団体に、菅直人元首相が献金していたそうです。おかしくないですか?

 母が亡くなり、家の中も暗くなってしまいました。薫が帰ってくるといっても、母が生きていれば、喜びも味わわせてあげられるけど、今はいない。

 私も、この何年かは疲れがドッと出ています。やはり母の看病があって気が張っていましたし、薫はいつまでも帰ってこないし…。

 家族会も署名活動や街頭演説などをやって国民に訴えてきました。必ず花は咲くという希望を持って私たちはやってきました。日本政府には責任を持って交渉をやり遂げてほしい。今度こそ、ぜひ花を咲かせてほしいと思います。

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