拉致再調査

特定失踪者・西安義行さんの家族

 ■「27年忘れたことはない」

 「行方不明になって27年だが、息子のことを一度も忘れたことはない」

 昭和62年3月、京都府内で行方不明になった特定失踪(しっそう)者で「拉致濃厚」とされている丹波市市島町の西安義行さん=失踪当時(21)=の両親、逸郎さん(76)と久子さん(74)は、これまでの長い年月を振り返った。

 義行さんは当時、友人と京都府舞鶴市方面にドライブし、JR山陰線綾部駅(京都府綾部市)で友人と別れた後、行方が分からなくなった。釣りとドライブが好きで、舞鶴にはよく訪れていたという義行さんだが、綾部駅で降りた理由は不明だ。

 義行さんが行方不明になり、家族は警察に捜索願を出した。綾部から舞鶴までの各駅で義行さんの写真を手に、行方を捜した。義行さんの運転免許証の有効期限が近づき、義行さんがどこかで更新するのではないかと期待したが、更新されることはなかった。

 逸郎さんによると、義行さんは高校卒業後、希望に沿う仕事が見つからない状態が続いていたが、熱心に就職情報誌を読み、履歴書を送っていた。逸郎さんは「返ってこない履歴書の情報で義行が狙われ、就職を口実に拉致されたのかもしれない」と推測する。

 その後、女児や成人女性、男性の声で、自宅に何度か不審な電話がかかってきた。あるとき、受話器から女児の歌声が聞こえた。久子さんが「上手やね。あなたのお父さんは義行いうんか」と優しく聞くと、電話はすぐに切れたという。

 平成23年に「特定失踪者問題調査会」が、12年ごろに北朝鮮・平壌周辺で撮影された義行さんとみられる男性の写真を公表した。しかしこれ以降、義行さんに関する情報は寄せられていない。

 義行さんがいなくなって四半世紀余り。北朝鮮は、拉致被害者らの再調査を行う特別調査委員会を立ち上げた。

 逸郎さんは「北朝鮮で義行は結婚し、子供も生まれたと信じたい。生きていると信じていなければやってられません。絶望したらおしまいです」と、自らを奮い立たせるようにこう言い切った。「義行の安否を知りたい。家族がいるなら一緒に帰ってきてほしい」と期待を寄せた。

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