「大津浪記念碑」 町有形文化財に指定 和歌山・那智勝浦町

 ■昭和19年 東南海地震 被害の教訓、後世に

 太平洋戦争末期の昭和19年12月7日に発生した東南海地震(マグニチュード7・9)の津波被害を伝える那智勝浦町の「大津浪記念碑」(同町天満)が、町有形文化財に指定された。津波被害を伝える碑は県内に約60カ所あるが、文化財に指定されるのは珍しく、町教委は「教訓を後世に伝え、指定を機に災害のことを改めて考えてほしい」としている。

 町教委によると、同19年の東南海地震では、犠牲者は天満を含んだ旧那智町で10人、旧勝浦町で23人となり、被災者は約5700人を超えた。津波は、現在の国道42号(海抜約5メートル)を越えた場所もあったという。

 記念碑は被害の教訓を伝えようと、天満地区が同25年にJR紀伊天満駅の前にある天神社(海抜5・4メートル)の境内に建立された。石碑の高さは約3メートルあり、石の前面には「大津浪記念之碑」とあり、裏面には当時の被害状況などが詳細に刻まれている。

 県内には、過去の地震による津波被害を伝える石碑などが数多く残る。県立博物館は平成23年の紀伊半島豪雨をきっかけに調査を行い、宝永4(1707)年の宝永地震、安政元(1854)年の安政南海地震など約60カ所、明治22年に紀伊半島で発生した水害や昭和28年に紀中を中心に大きな被害が出た「紀州大水害」などの被害を伝える碑も約60カ所あるという。

 広川町の「広村堤防」は、安政南海地震を受けて「稲むらの火」で知られる浜口梧陵が私財を投じて築いたもので、国史跡に。湯浅町の深專寺にある「大地震津波心得之記碑」は県指定文化財となっている。

 調査を行った同博物館の前田正明・主任学芸員は「文化財に指定されることで、忘れがちな災害の記憶をみんなのものとして残すことができる。石碑を残してまで後世に伝えたかった昔の人々の思いを知ることが大事」と話していた。

 那智勝浦町教委は、今回の津波の石碑のほかに、町天然記念物として、周辺の地層と成り立ちが異なる「大勝浦の泥ダイアピル岩体」、岩脈の様子を観察できる「宇久井の火砕岩岩脈」の2カ所を指定。これらの文化財は、紀南地域の珍しい地形などを使って地域の歴史などを学ぶ「南紀熊野ジオパーク」のみどころ「ジオサイト」として活用されるという。

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