なら再発見

60 製作技術の継承に期待 奈良晒

 茶巾(ちゃきん)は茶道の点前(てまえ)で茶碗(ちゃわん)を拭くための布であるが、奈良晒の茶巾は千利休好みの高級品として現在まで珍重されてきている。

 繁栄のなごりは奈良市水門町の名庭・依水(いすい)園に残っている。2つに分かれる庭園のうち、前園は江戸時代に清須美道清が造り、後園(こうえん)は明治時代に関藤次郎が造ったが、いずれも奈良晒業者だった。明治時代まで近くを流れる吉城川(よしきがわ)に晒場(さらしば)があったという。

 奈良市月ヶ瀬では、江戸時代から農閑期の副業として糸つくりや織りが行われてきた。大和高原の山間部に位置する稲作に適した平地の少ない土地で、貴重な現金収入源だったこともあり、明治以降もその技術が保存されてきた。よった糸が切れないよう、湿気の多い土間においた織機で冬の厳冬期に作業するのは大変つらいものだったという。

 奈良晒の伊勢神宮への奉納は江戸時代から受け継がれてきており、現在は月ヶ瀬の坂西家が奉納している。

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 昭和54年、奈良晒の紡織技術が奈良県の無形文化財に指定された。

 その伝統技術を唯一保存継承しているのが、月ヶ瀬奈良晒保存会(猪岡益一会長)だ。