なら再発見

60 製作技術の継承に期待 奈良晒

 奈良晒(さらし)は、江戸時代に奈良の町を中心に生産された高級麻織物だ。武士や町人の礼服や夏の衣料に使われ、「麻の最上は南都なり、近国よりその品数々出れども染めて色よく着て身にまとわず汗をはじく故に世に奈良晒とて重宝するなり」と称賛された。

 もともとは、室町時代から寺院の僧衣用に麻織物が作られていたと伝わる。安土桃山時代に、清須美(きよすみ)源四郎が晒しの方法を改良して評判となった。

 江戸時代には「御用布(ごようふ)」として幕府の庇護(ひご)を受けて商業生産がはじまり、南都随一の産業として発展。「町中十の物九つは布一色にて渡世仕(つかまつ)り候(そうろう)」といわれた。

 奈良晒の生産は糸つくり、織り、晒しの3工程に分かれる。原料の青(あおそ)は麻の一種で「からむし」とも呼ばれる苧麻(ちょま)の繊維を精製加工したもので、越後地方や最上地方などから取り寄せた。糸つくりや織りは、問屋が介在して農村女子の家内副業として行われ、仕上げ加工の晒しは南都近郊の般若寺村と疋田(ひきた)村(いずれも現在の奈良市)の専門業者が行った。

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 生産のピークは元禄期。その後、越後上布(じょうふ)、近江上布など他国産との競争に勝てず、明治維新で武士という最大の市場を失って衰退していったが、江戸時代を通じて最高級の麻織物とされた。