ビジネスの裏側

揺れる「赤福」…実母が息子社長を追い落とすお家騒動を生んだ「経営方針の対立」とは

 民間信用調査会社によると、典保氏は社内のコンプライアンス(法令順守)を徹底し、社員提案なども導入して企業風土を改善。作り置きできない生産ラインを導入するなど、「家業から企業へ」の理念で近代的な企業経営への転換を進めた。その結果、業績は回復し、20年9月期に64億円だった売上高は、25年9月期には92億円まで増えた。この年には伊勢神宮で20年に1回、社殿を造り替える式年遷宮もあり、足下の業績も好調に推移しているとみられる。

“伊勢のドン”、益嗣氏の不満か原因か

 一見、典保氏は赤福を立て直した功労者だが、益嗣氏らが不満を募らせていたようだ。

 益嗣氏は株式会社の2代目社長として手腕を発揮。また、毎月趣向を変えて発売する「朔日(ついたち)餅」を発案するなど、地元では赤福を全国区に押し上げた名経営者とみられている。また、伊勢神宮脇に観光商店街「おかげ横丁」を完成させ、国内有数の観光地として知らしめた。地元財界の有力者でもある。

 そんな益嗣氏が理想としていたのは、株式会社化後の初代社長で祖母で、典保氏からみると曾祖母の故ます氏。品質重視の姿勢を貫き、現在の赤福の礎を築いた中興の祖とされる。関係者によると「益嗣氏は近代化に走る典保氏に危機感を抱き、勝子氏を中心に、ます氏の時代のような『家業型』経営に戻ろうとしている」という。

 事実、ある地元市議は、「益嗣さんは普段から『赤福代々ののれんを守っていかねば』と口にしていた」と証言する。

 益嗣氏は、赤福株の8割以上を保有する筆頭株主の不動産管理会社、浜田総業の社長を務め、影響力を確保していたという。19年に志半ばで経営の実権を手放しただけに、事業への意欲はいまだ衰えていないようだ。

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