反響すさまじく
スタジオに延べ6日間も缶詰めにされ、1ポーズにつき50~60枚もの写真が撮られた。
完成したポスターは、渋いセピアなトーンでまとめられ、グラスの中のワインレッドが色鮮やかに映え、全体に上品な感じに仕上がっている。撮影から1年後、ポスターが完成するとその反響はすさまじく、赤玉は驚異的な売り上げを記録したほか、ドイツで開かれた世界ポスター品評会でも1等に入選した。
さらに、杉森久英著「美酒一代-鳥井信治郎伝」(昭和61年、新潮社)にはこう記されている。
《絶対秘密とされていた。中途から真似する者の出ることをおそれたのである。風俗取締りがきびしくて、裸をあらわにすることに対して病的に神経質だった当時の日本(略)その後しばらくして、松島栄美子が大阪へ来て、住吉町の寿屋本社を訪問したところ、問題のポスターのモデルを見ようと集る人が、店の前に黒山を築いた》
ネットに手がかり
警察からは風紀紊乱(びんらん)に当たると取り調べを受けるなど、そんなタブー撮影に挑んだ栄美子さんはどんな女性だったのか。ますます彼女への興味が沸くが、「赤玉楽劇座」も興業資金が続かず1年で解散してしまっている。