正論

「国民の憲法」1年 広がる奇妙な改正反対論を正す

 国民にも憲法尊重擁護義務は課されているのであり、その意味で憲法は「国民を縛るためのもの」でもある。納税、保護する子女に普通教育を与える、勤労といった義務を国民に課して縛ってもいる。伊藤氏らの主張では、日本国憲法は「憲法」ではなく「立憲主義」に反しはしないか。

 憲法を「国家権力を縛るためのもの」とする考えは、近代初期の「近代立憲主義」と呼ばれるもので、国家の役割を制限することで国民の自由・権利を保障していくという夜警国家、「小さな政府」時代の産物だ。しかし、その後、選挙権が拡大して国家が大衆の要求に応ずる必要が生じ、近代憲法の保障する人権が単に形式的な自由と平等を保障するにとどまり、真に人間らしい生活を保障する役割を果たしていないとの主張を社会主義思想が広めるに従って、国家の役割も憲法観も大きく変わっていった(長谷部恭男著『憲法』新世社、1996年参照)。

 ≪「反知性主義」はどちらか≫

 ドイツのワイマール憲法、フランスの第4共和政憲法など第一次世界大戦以降の各国の憲法では、労働基本権や最低生活の保障、勤労権、教育権など、その実現のため国家の積極的な介入を要求するような権利がうたわれるようになった。国家権力を縛るのではなく、逆に活用して国民の福祉を図るという考えになったのだ。

 これは福祉国家を目指す考え方で、「現代立憲主義」と呼ばれている。日本国憲法も基本的にこの考えに立脚し、最高裁も「憲法は、国の責務として積極的な社会経済政策の実施を予定している」(小売市場事件判決、昭和47年11月)と判示している。

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