【関西歴史事件簿】菅原道真の左遷(下) 突然死・落雷・疫病、恐るべし道真の「祟り」で京は大混乱…「学問の神・天神さん」信仰は恐怖の裏返し(1/3ページ) - 産経ニュース

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関西歴史事件簿

菅原道真の左遷(下) 突然死・落雷・疫病、恐るべし道真の「祟り」で京は大混乱…「学問の神・天神さん」信仰は恐怖の裏返し

 平安貴族の名門・藤原家との政争に敗れた菅原道真は九州・大宰府(だざいふ)に左遷されると、失意のうちに亡くなる。ここまでなら単なる悲劇だが、これから不可解な出来事が続発する。道真の左遷にかかわった人物の相次ぐ死、日照りによる作物の不作、流行病など次々と降りかかる天災に京の都は大混乱。ここに道真の祟(たた)りの仕業とする怨霊伝説へと発展していく。

相次ぐ変死事件

 延喜3(903)年の道真の死後、政敵・藤原時平は妹の穏子(おんし)を醍醐(だいご)天皇の中宮とするために入内させて天皇との関係回復に努めたほか、政治への意欲をみせていた。

 ところが、道真の死から3年後、「道真に不穏な動きがある」と当時、皇室の秘書室長ともいわれる蔵人頭(くろうどのとう)だった藤原菅根(すがね)とともに朝廷に報告し、道真の後任として右近衛大将に就任した藤原定国が謎の死を遂げる。

 すると今度は、それから2年後の10月7日、菅根までもが雷に打たれて亡くなるという不気味な死が相次いだ。そして翌年の延喜9(909)年に起きた時平の突然死が追い打ちをかける。

 このころ疫病が蔓延(まんえん)した都。天竺の妙薬も効きめなく病床に伏せていた時平のために天台宗の僧、浄蔵に加持祈祷をさせようとした文書博士、三善清行の前に道真は龍となって現れたといわれる。その怨念はいかばかりか。

 これ以降、宮廷の中で道真の怨霊の噂がとりざたされると、時平の死から4年後、時平派で道真の後任として従二位に就いた源光(みなもとのひかる)もタカ狩りの最中、泥沼に落ちたまま行方不明になる事故が発生する。

 次々と消えていく時平派の貴族ら。都では、さらに報復の度合いを増していく道真の見えない怨念に震えあがることになる。