関西の議論

「城」の所有者は?「登記」から見える城の歴史…大阪城・天守閣「未登記」、土地「旧陸軍省」の謎

 「太閤さん」こと豊臣秀吉が築いた大阪城(大阪市中央区)の所有権の帰属が不動産登記上、宙に浮いている。登記簿を確認すると、昭和6年に再建された天守閣は建物自体が登記されておらず、「無主」のまま。土地の所有者は第2次大戦後に解体された旧陸軍省だった。天守閣を管理する大阪市は「他者の占有は考えられない」として今後も登記しない姿勢だが、最初の城主だった豊臣家は400年前に勃発した大坂夏の陣で滅ぼされ、城は徳川家の手に渡っている。戦乱の世が過ぎ去ったとはいえ、今後何者かが権利を主張して乗っ取られる心配はないのか。

所有権「十分証明できる」

 初代の大阪城天守閣は1585(天正13)年、戦乱で焼失した石山本願寺の跡地に秀吉が1年半かけて完成させた。豊臣政権の本拠地として威容を誇ったが、1615(慶長20)年の大坂夏の陣で焼け、徳川幕府が1626(寛永3)年に再建。ところが1665(寛文5)年に落雷でまたも焼失した。長らく天守閣がない状態が続いたが、大阪市が昭和天皇の即位記念事業として市民から寄付金を募り、昭和6年に鉄筋コンクリート造りで再建した。

 第2次大戦の空襲を耐え抜き現存する3代目天守閣。歴史資料を展示するなどし、今や大阪の観光名所としてにぎわうが、築城から80年以上、建物が登記された形跡はない。

 なぜ登記をしないのか、大阪市に理由を聞いた。

 担当者は「登記はあくまでも権利関係の問題が発生した際に他者に対抗するための手段。天守閣の所有権を第三者に移したり、他者に占有される可能性が考えられないため」と返答。天守閣の所有権を第三者が主張した場合の備えについては「たとえ裁判になったとしても、天守閣が市の財産であることはさまざまな客観的事実から十分証明ができる」と淡々と話す。

会員限定記事会員サービス詳細