舞の海の相撲俵論

日本人横綱のいない土俵が映し出す「国柄」

 ある日の稽古終わりに「日本の力士は平気で親の悪口を言う。俺はそれが許せない。モンゴルでは絶対に考えられない。親は大切にするものでしょ」と真剣なまなざしで訴えかけてきた。

 自分のことは後回しにして、家族や恩師、郷里のことを思えば簡単に辞められるはずがない。親も同じで昔は「強くなるまで帰ってくるな」だったのが、いまは「苦しければすぐに帰ってこい」に様変わりしてしまった。

 鶴竜は自ら入門を直訴する手紙をしたため、モンゴルから日本の大相撲関係者に送った。日本語がまったくわからない小さな少年だったという。それがいまは立派な力士になった。師匠を慕う姿勢や稽古場での向上心を見るにつけ、初心を忘れていないことは明らかだ。

 スカウトされて連れられてきた力士と、自ら懇願して門をたたいてくる力士とでは気概がまったく違う。

 日本の力士だけがふがいないのではない。酒や米がその土地その土地の土壌や気候で味を決めるように、国柄が力士をつくるのである。

 いまのわが国を見つめると、何もかもが弱腰だ。近隣諸国に言いたい放題にされてはいないか。外国から来た力士に顔を張られても、怒って向かっていく力士がいないのと同じように。

 土俵は、いまの日本を映し出す鏡なのかもしれない。(元小結 舞の海秀平)