辻原登さん 長編「寂しい丘で狩りをする」 義憤から真の救い求めて

 ストーカーやDV(ドメスティックバイオレンス)被害など女性を狙う凶悪犯罪は後を絶たない。辻原登さん(68)は最新長編『寂しい丘で狩りをする』(講談社)で、追いすがる男の影におびえながら、自らの人生を取り戻そうともがく女性たちを描いた。抑制の利いた文章を連ねたスリリングな犯罪サスペンスは「真の救い」とは何か?を問う物語でもある。(海老沢類)

実在の事件から

 「きっかけは一種の義憤ですよね」と、辻原さんは言う。本作は平成9(1997)年、東京都江東区で日本たばこ産業(JT)の女性社員が殺害された事件に想を得ている。過去の暴行被害を女性が警察に訴えたことを逆恨みして殺害したとされる凶悪事案だ。

 「男は最終的には暴力で処理しようとする。それがエスカレートすれば殺害に至る。『これじゃあ、女性はやられっぱなしじゃないか』と。脅迫された女性が逃げるばかりでなく、最後には振り返って立ち向かう物語を書きたかった」

 あの女は約束を破って被害を警察に届け出た-。映画のフィルムエディターとして働く野添敦子は、かつて自分をレイプした凶悪犯・押本史夫のそんな理不尽な怒りから来る報復におびえていた。敦子に依頼され出所後の押本を尾行する女性探偵・桑村みどりもまた交際相手である久我(こが)の暴力に苦しむ。押本は転居を繰り返す敦子に着々と迫り、久我はみどりの自宅に押し入るほど執拗(しつよう)だ。追い詰められ、不安と恐怖、忌まわしい記憶でぼろぼろになった2人の30代女性の姿を丹念に描く。

 〈逃げるというのは敵に背中をみせるということ。でも、いつか背中をみせるのをやめなければいけないときがくる〉。陰鬱な設定だが、物語の底には、みどりの能動的で強い言葉が流れる。前作『冬の旅』では、どん底まで転落した男の救いの可能性を問うたが、本作で模索されるのは被害女性の魂の救済。敦子とみどりの間に芽生える連帯に、希望がほの見える。

 「仮に女性が完全犯罪を成し遂げて男から逃れられたとしても、それはフィクション内で完結した解決であって、本当の救いではない。『その女性がその後どう生きるのか?』まで考えないと。相手の問題を自分自身の問題として引き受けて動く-そこから生まれる協力関係にしかヒロインたちが救われる道はないと思ったんです」

激動の10年描く

 細部への目配りが、起伏に富んだストーリーを支える。友人の弁護士らに想定裁判を頼み、論告や判決文をリアルに仕上げた。バブル崩壊後の都市を覆う廃虚のイメージなど1990年代の空気も取り込む。「戦後生まれにとって激動の10年。僕が確固とした小説観を作りあげた時期とも重なる」。目先の新しさにとらわれず19世紀西欧文学的な豊壌な物語を紡ぎ続ける。

 「僕らは普通日々を生きるのに精いっぱいで、自分の人生すべてを客観的に把握することはできない。仮想の現実をつくり仮想の人物を生かすことでそれを実現するのが小説家。日常をきっちり踏まえながら日常や現実を超えるものを読者に届けたい」

【プロフィル】辻原登

 つじはら・のぼる 昭和20年、和歌山県生まれ。60年にデビューし平成2年に「村の名前」で芥川賞。12年に『遊動亭円木』で谷崎潤一郎賞、17年に「枯葉の中の青い炎」で川端康成文学賞を受けた。24年に『韃靼(だったん)の馬』で司馬遼太郎賞を受賞し、同年紫綬褒章を受章。『許されざる者』『父、断章』など著書多数。