今年は、ピサが輩出した天才科学者の生誕450周年である。そこで彼の生涯に関する、あまり知られていない15のエピソードを紹介する。
科学界はずっと彼に感謝するだろう。例えば望遠鏡の完成、科学的手法の導入、そして運動に関する一連の基礎的研究は、彼の功績だ。話をしているのは、もちろんガリレオ・ガリレイについてだ。2014年2月15日は、彼の生誕450周年記念日だった。
「現実の理解は実験に始まり実験に終わる」。彼の大ファンのひとりであるアルバート・アインシュタインは彼についてこう語っていた。「そして、論理のみでたどりつく主張は、現実に対して完全に無意味である。ガリレオはこの考えを理解して、初めてこれを科学界にもたらした。そしてこのために、彼は現代物理学の父、いやむしろあらゆる現代科学の父なのである」。
ピサ出身の天才の生涯と作品は、歴史のなかで讃えられ、詳細に研究されてきた。そこで、何冊目になるかわからない伝記を書くよりも、おそらくあなたが知らない15のエピソードを明かすことにしよう。
1. 斜塔の実験
ガリレオの実験で最も有名なものだ。科学者はピサの斜塔に登り、落下速度が物体の質量とはかかわりないことを証明するために、質量の異なる2つの砲丸を落としたと伝えられている。「間の抵抗を完全に取り去れば、あらゆる物質は等しい速さで落下するだろう」。残念なのは、ピサの斜塔から落下する2つの物体が、真空の中にないことだ。エピソードは架空のものだ。おそらくは、ガリレオの秘書が広めたつくり話にすぎない。
2. 司祭から還俗
ガリレオの父親は、医学の勉強のために彼をイエズス会の修道院へ送った。4年後、未来の科学者は、召命を受けたと宣言して修道士になった。父親は彼を修道院から連れ戻したが、もはや覆水盆に還らず。ガリレオ・ガリレイはもはやまぎれもない還俗司祭だった。
3. 欠けた指
ガリレオの死から100年後、彼の遺体が新しい墓へと移されたとき、ある崇拝者が彼の右手の中指を切断した。いまこの「遺物」はフィレンツェの科学史博物館に展示されている。そして指はローマの方角へと向けられている。
4. ガリレオと振り子
いい伝えによると、ガリレオはピサの大聖堂のランプが揺れるのを見て、振り子の問題に夢中になった。彼は(誤って)振り子の振動の時間は一定だと確信した(訳注:一定なのは揺れ幅が小さい場合のみ)。いずれにせよ、彼は振り子時計をつくることには成功しなかった。
5. 『神曲』の地獄はどれくらいの大きさか?
ガリレオはフィレンツェのアカデミア・デル・ディゼーニョ(美術アカデミー)で「ダンテの『地獄』の場所と形と大きさについて」という題目で2回の講義を行った。そして彼は、地獄の奥底にいる魔王ルシファーの身長が約2%2C000ブラッチョ(約1%2C200m)という結論に達した。
6. ひどい先生
彼は優秀な科学者だったが、教えることができなかった。ピサ大学はガリレオに数学の教授職を与えたが、更新はしなかった。(同僚にとって)彼と仕事をすることは、そして(学生たちにとって)彼の講義についていくことは、あまりに困難だった。
7. 誰が望遠鏡を発見したか?
ガリレオは望遠鏡を発明していない。どちらかといえば、彼がしたのは、あるオランダ人メガネ職人が開発した望遠鏡を完成させたことだ。しかし彼は、空を見るためにこの道具を利用した最初の人物だ。