国語逍遥

(43)清湖口敏 入試と「難易度」 意味をもたない漢字とは

 ソチ五輪では雪も氷も溶かさんばかりの熱戦が繰り広げられているが、こちら国内でも、寒さを吹き飛ばす熱い戦いが本番を迎えた。入試だ。そこで今回は、これら両者に関係の深い「難易度」という言葉について、まず考えてみたい。

 五輪には、難易度の高い技を決められるかどうかが順位を左右する種目が少なくなく、例えばフィギュアスケートだと、選手は難易度の高いトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)などを決めて得点を稼ぐことになる。また入試では、偏差値による学校別の「難易度」が志望校選びの大きな目安となる。

 難易度が高いとか低いとか、人はよく口にするが、難しさの程度をいうなら「難度」だけで足りるのに、どういうわけか「難易度」と言ってしまう。高度、深度、密度のことを高低度、深浅度、疎密度などとはめったに言わないのに、だ。産経の紙面にも年に数十件、「難易度」が顔をのぞかせる。

 では、「難易度」は誤った言葉遣いなのか。新明解国語辞典(三省堂)の解説が実に明解で、「字音語の熟語を構成する漢字のうち、対極的な用法を持つ一方がその文脈においては積極的に意味を持たぬもの」を「帯説(たいせつ)」と定義し、「難易度」というときの「難易」の「易」、「一旦緩急の際は」の「緩急」の「緩」、「恩讎(おんしゅう)の彼方(かなた)」の「恩讎」の「恩」を帯説の例に挙げている(「讎」は「讐」の異体字)。

 「易」の意味はないものの、「難易度」は決して怪しむべき表現ではないというわけだ。

 「恩讐」もときどき見出しに出てくる。最近では、黒人解放運動に大きな足跡を残して死去した南アフリカの元大統領、マンデラ氏についての「主張」(社説)の見出しが「恩讐を超えた精神に学べ」だった。

 社内の一部には「同氏は白人によるアパルトヘイト(人種隔離)政策のため苛酷な人生を強いられた。『恩』が介在する余地はないはずだ」と、「恩讐」をいぶかる声もあった。

 多くの辞書が「恩讐」を「恩とうらみ」などと示している現状では無理もないが、「恩」はやはり帯説で、積極的な意味は持っていないと考えるのが自然ではなかろうか。

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