【関西歴史事件簿】堺事件(下) 武士たちは己の内臓を投げつけ、首が落ちるまで何度も介錯した…仏人が目を覆った11人の壮絶・切腹シーン、余りの残酷さに途中で中止 (1/3ページ) - 産経ニュース

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関西歴史事件簿

堺事件(下) 武士たちは己の内臓を投げつけ、首が落ちるまで何度も介錯した…仏人が目を覆った11人の壮絶・切腹シーン、余りの残酷さに途中で中止 

 慶応4(1868)年2月、泉州・堺に上陸したフランス兵と衝突し、22人を死傷させた事件の責任をとり、切腹することになった箕浦猪之吉ら20人の土佐藩士。自らの腹に切っ先を入れると、苦痛に耐えながら横一文字に切り裂いていく様はすさまじかった。間近で見ていたフランス政府、軍の関係者の顔は一様に青ざめ、目を覆うほどの残酷シーンの連続だった。

切腹

 大坂の土佐藩邸から同行してきた熊本、広島両藩の藩士から「準備が整いました」と告げられた20人は妙國寺の本堂前の庭に設けられた刑場へ移動した。ところが、朝のうち晴れていた空が急に雲に覆われると、にわかに雨が降ってきたため、儀式は一時ストップする。

 寺の周囲に集まった多くの人たちは慌ただしく動きまわっていたが、すでに発砲を自己申告したときから死を覚悟していた20人の心に乱れはなかった。

 雨も約2時間でやみ、再び準備を整えたころには夕刻が迫っていた。そこに名簿を開いた役人から「箕浦猪之吉」との声が境内に響き渡った。

 すっと立ち上がり周囲を見ると一礼し、静々と座についた箕浦。血の色を目立たせないよう黒い羽織と袴(はかま)姿の箕浦の後ろには介錯人(かいしゃくにん)が刀を構えていた。

 箕浦は右から服を緩めて目の前の三方(さんぽう)を引き寄せると、刃先のみを残して奉書紙で巻かれた短刀を手に取った。そして左手で左脇腹を3度をさすったあと刃を突き刺すと、衣服がみるみるうちに鮮血で染まった。