衝撃事件の核心

醜聞「コーナン」50歳・中国出身女性取締役に溺れた84歳創業者の晩節…女性取締役は「功績もあります!告訴やめて」と言い張った

ホームセンター大手のコーナン商事(堺市)の不透明取引問題は、創業者で35年間社長を務めた疋田耕造(ひきた・こうぞう)氏(84)の引責辞任に発展した。親密な関係にあった元女性取締役は耕造氏の権威をかさに女帝のように振る舞い不透明取引など暴走を重ねたが、耕造氏は黙認。結果、監督責任を問われトップの座から降りざるを得なくなった。コーナンを全国で約280店展開する一大企業に育てあげた耕造氏。その歯車はなぜ、どこから狂ってしまったのだろうか。

父のようには…

「前社長のようにはなりたくない」。耕造氏の辞任に伴い社長に就任した息子の疋田直太郎氏(57)。11月15日の記者会見では、父親時代のワンマン体制との決別を誓った。

社長職は辞任したが、耕造氏は取締役相談役として経営陣に残る。直太郎氏は「(耕造氏と)一線を引き、新しい体制で邁進(まいしん)する」と強調。「自浄作用の効く、風通しの良い組織にしたい」と力を込めた。

取引先から不正なリベートを受け取っていたとされる元女性取締役の荒川春子(50)氏には法的措置を取る方針を明かし、「「今後の調査で(耕造氏の)名前が挙がれば、(訴訟などを)検討する」と述べ、経営体制の立て直しに向けた覚悟も示した。

絶対的な権力

和歌山県に生まれ、28歳で石油商社「木津川石油商会」を立ち上げた耕造氏。石油危機をきっかけに事業の多角化を図るため、昭和53(1978)年にコーナンを創業すると、近畿圏のホームセンターの草分けとして順調に成長。平成13年には東証1部上場を果たした。

創業者社長としての耕造氏は直太郎氏からみても「絶対的な権力を持っていた」。強いリーダーシップは意思決定の迅速さというメリットはあるが、あらゆる権限が集中し、「取締役や監査役であっても物が言えない」(関係者)状況を生んだ。オーナー企業にありがちな「自分が興した会社だから」との思いも加わり、耕造氏のワンマン体制ができあがっていった。

“近すぎた”距離

東証一部上場を翌年に控えた12年。それまでブローカーを通して中国から製品を輸入していたコーナンが直接仕入れに切り替えるにあたり、中国出身で輸入業務に精通する荒川氏が入社した。「秘書役」として頼られた荒川氏はとんとん拍子で出世を果たし、平成23(2011)年には取締役にまでのぼり詰めた。

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