平成19年に同社を設立し、原宿を拠点に音楽やファッションイベントを開いてきた中川社長は22年、手がけたイベントできゃりーさんと知り合った。「原宿のアイコン(象徴)を作りたい」と考えていた中川社長は、当時からブログで情報発信していた彼女の魅力に注目。後に楽曲を手がける音楽プロデューサーの中田ヤスタカさん(33)らに紹介し、23年の歌手デビューにつながった。
以来、中毒性ある曲調や色鮮やかでやや奇怪な楽曲映像、ファッションが注目を集め、動画サイトなどを通じて海外でも人気に火が付いた。中川社長は「細部までこだわる日本的な作り込みや色彩感覚が海外でも受け入れられた」と話す。デビュー以来、ファッションや演出などにはきゃりーさん自身の意向を反映。中田さんや楽曲映像の美術を手がけるアートディレクターの増田セバスチャンさんら原宿を中心に活躍する大人が「作品」を磨き上げる手法は今も変わらない。
「海外で売るために海外スタジオでレコーディングするような、『大人が料理してしまう』やり方をしたくなかった。強い発信力を持つきゃりーにクリエーターも敬意を抱き、一緒に面白がり、『旬』を作り込む姿勢がうまくいった」と中川社長は振り返る。