【世界史の遺風】(80)夏目漱石 西洋体験に苦しんだ文豪(1/4ページ) - 産経ニュース

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世界史の遺風

(80)夏目漱石 西洋体験に苦しんだ文豪

 □東大名誉教授・本村凌二

 東京銀座のアルマーニ路面店を通りかけたとき、鏡に映る自分らしき姿がやけにさっそうと歩いてくる。俺も捨てたものじゃないな、と思ったりしたが、美形のモデルがこちらに向かって歩く宣伝画像だと知ってがっくりだった。

 それと逆のことをロンドン留学時代の夏目漱石は体験したらしい。「往来ニテ向フカラ背ノ低キ妙ナキタナキ奴ガ来タト思ヘバ我姿ノ鏡ニウツリシナリ」と日記に記している。

 19世紀最後の年、熊本の第五高等学校英語教授だった漱石は、政府派遣留学生として、ロンドンに2年間留学することになった。自分から望んだことではなかったし、いったん辞退したほどだったという。

 横浜からロンドンまでは2カ月ほどの長旅だった。まずは大英博物館の近くにあるガワー街の安宿に泊まる。それでも、「一日に部屋食料等にて六円許(ばかり)を要し」たから、最初から生活の不安はつのった。

 政府から年間1800円を支給された。1カ月150円だから、1日6円もかかれば赤字は目前だった。この年俸は当時のイギリス人労働者の年収の3倍以上だったが、初めて異郷に生活する人間には心もとない。おりから晩秋の時期、どんよりと曇り霧雨が降っていた。ロンドンでは最後まで貧乏暮らしだったというから、33歳の漱石の心を映し出していたかのようだった。