歴史の交差点

明治大特任教授・山内昌之 ヘロドトスの悪意

 職業として歴史学を選んだ人間なら、どのテーマでも多国間の共同研究や共通認識がたやすく成立すると考える人がいる。これは大きな誤解である。そもそも、近現代の領土帰属や戦争責任の問題に限らず、古代史においてさえ、現在の国家の枠組みや国境にかかわる神話や伝説の評価が国によって異なるのは何も珍しいことではない。

 それは、歴史を学問や社会科学の領域で議論する素材でなく、外交や安全保障で常に優位に立つ武器として用いる国が多すぎるからだ。韓国のように世論が歴史の事実でなく強烈な思い込みで決まる国や、共産党の一党独裁を正当化するために抗日戦争を神話化する中国では、学問としての歴史の在り方がそもそも日本と違うのである。

 しかし、他国や他人に対する歴史叙述が公正でも好意的でもないどころか、悪意に覆われている例は、現代の中国や韓国の日本に対する扱いだけでない。実は、前5世紀に古代ギリシャのヘロドトスが書いた『歴史』は悪意の塊だという説がある。プルタルコスは、そのものずばり「ヘロドトスの悪意」という論で、悪意をもって歴史を叙述する特徴として8点を挙げる。

 その第1は、出来事を叙述するときに極めて過酷な言葉や表現を用いることだ。プルタルコスがたしなめる「狂信者」や「無謀と狂気」といった形容ならお手の物という作者は今も多い。

 第2は、当面の論点と無関係な話題を、ある人物の愚行や不面目を強調するために、場違いの出来事の記述に押し込み、叙述の本筋を脇道や回り道へそらす手法である。第3は、立派な業績や称賛に値する手柄を省略することだ。これは難癖をつけて喜ぶよりも、いっそう不公平で悪質だとプルタルコスは批判する(伊藤照夫訳『モラリア10』京都大学学術出版会)。

 第4は、同じ事件に解釈が2通りかそれ以上あるとき、悪い方を選び取ることである。真実を知っているなら明言すべきであり、不確実なら信じるに値しないことを無視すべきだ、と。

 第5は、事件の原因や意図がはっきり分からない場合に、敵意と悪意から信じるに値しない推論に手を伸ばすことだ。嫉妬や悪意が頂点に達すると、他人や他国の業績や行状の評判を落とす中傷や当てこすりが平気になる作者は多い。第6は、人の成功を勇気や知略でなく金銭や幸運のせいにして功績の偉大さと美質を減らそうとする傾向である。第7は、婉曲(えんきょく)に誹謗(ひぼう)の矢を放ちながら、途中で非難を信じていないかのように公言する卑劣さに他ならない。第8は、少しだけ褒め言葉を付け加えて難癖を薄める書き方である。

 第5や第6は中東でも歴史家や政治家が多用してきた。これ以上は、ヘロドトスの悪意じみた現代人の歴史解釈や反論を政治史と革命史の舞台で分析した近著『中東国際関係史研究-トルコ革命とソビエト・ロシア』(岩波書店、11月刊)をご参照いただきたい。方法と姿勢において、「人間どもの不運を拾い集める者」をたしなめたギリシャ悲劇断片の警告から学んだつもりである。(やまうち まさゆき)

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