「東洋の魔女」は歴史的必然 社会学者・新雅史さんの新書が話題

 ■結びついた女工とバレーと工業化社会

 2020年夏季五輪の東京開催が決まり、あらためて思い返されるのが1964年の前回大会。「東洋の魔女」の異名をとり、金メダルを獲得した日本女子バレーボールの歴史的背景をたどる新書『「東洋の魔女」論』(イースト・プレス)が話題だ。著者の社会学者、新(あらた)雅史さん(39)は、「戦後の女性労働とバレーは密接に結びついていた」と語る。(磨井慎吾)

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 圧倒的な強さを誇った当時の日本女子バレー。だが対戦した欧州諸国やソ連が国代表のチームだったのに対し、日本選手のほとんどは大日本紡績(現ユニチカ)貝塚工場という一企業のチームだった。世界最強の女子バレーチームは、なぜ日本の一繊維工場に生まれたのか。新さんは「『東洋の魔女』には、歴史的な必然性があった」と指摘する。

 もともと戦後の集団就職を研究しようと考えていた新さん。大学院生だった平成12年、女子バレーのユニチカ・フェニックス(旧称・日紡貝塚)の廃部を新聞で知ったとき、「東洋の魔女」の研究を思いついたという。

 戦後復興を支えた繊維業界では、労働者の多くを「女工」と呼ばれた寄宿舎生活の女性が占め、彼女らが工場労働の余暇に楽しんだのがバレーだった。もともとは19世紀末の米国で、女性労働者向きのスポーツとして考案された起源を持つ。当時の繊維企業は、労働者の健康増進や勤労意欲向上に役立つとしてバレーを推奨した。「東洋の魔女」誕生の背景には、こうした戦後の女性労働とバレーの関係があったと新さんはみる。