ベテラン記者のデイリーコラム・石野伸子の読み直し浪花女

石上露子伝説のリレー(9)あの山崎豊子がインタビュー、リアル小説に 女神と悪魔「…でも架空」

 「生きていた薄命の佳人 河内の生家でひそやかな日々 『明星』の石上露子」

 昭和29(1954)年6月15日付の毎日新聞朝刊(大阪版)にこんな見出しの記事が掲載された。

 署名はないが筆者は当時、毎日新聞記者をしていた山崎豊子。露子は73歳で、急死の5年前。露子にとっては孫に囲まれ、やっと穏やかな暮らしをしていた時期だろうか。その平穏も2年後には次男の自殺により打ち破られてしまうのだが。

 記事では、東京女子大教授の松村緑さんによって生存が確認された露子にインタビューし、生の声を聞くことができた、とこれまでの半生をドラマチックに紹介している。いわく不幸な生立ちから歌ひとすじに生きる日々を送っていたこと。親のすすめで結婚したこと。しかし夫の無理解で筆をおり、歌壇から姿を消したこと。松村教授がつまびらかにした半生をそのまま紹介している。

 紙面には庭先で孫とおやつを楽しむ露子の写真が添えられている。面長の上品な着物姿の老婦人。顔はややこわばっているか。文中には「今さら昔の名を語らず、世評にも出たくありません」という露子の言葉が紹介されている。

 ひそやかに生きたい。多分、それが本音であっただろう。

 しかし、露子の華麗な生い立ちと波乱の人生が、人々の好奇心をかき立ててやまない。

 昭和34年「石上露子集」を編集した松村教授のもとには、さまざまの作家から取材や資料提供を求める動きがあった。「晶子曼荼羅」を書いた佐藤春夫はぜひ小説にしたいと知人を通して接触があった。が、急逝でそれきりになる。吉屋信子は「未知なる女流歌人の、その歌によるよりも作者自身のさながら夢幻劇のように想像される生涯への魅力」にひかれて、昭和39年評伝を発表した。翌年「ある女人像-近代女流歌人伝」の冒頭に収めている。

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