スポーツ群像

難病と闘った江戸っ子エース・土橋正幸さん ゆかりの人々からあふれる思い出話

 かつて東映(現日本ハム)のエースとして1962年にはチームを日本一へ導く原動力となり、通算162勝をマーク。引退後は日拓ホーム(同)、ヤクルト、日本ハムの監督などを歴任した土橋正幸さんが8月24日、筋萎縮性側索硬化症のため死去した。享年77。東京都港区の梅窓院で営まれた28日の通夜、29日の葬儀・告別式には大勢の野球関係者が訪れ、土橋さんとの別れを惜しんだ。

男らしくさっぱり

 東映の後輩で、62年の日本一の際は打線の中心として活躍し、後に安打製造器の異名を取った張本勲さん(73)は土橋さんを「あんちゃん」と慕っていた。

 「日本の右投手の中では5本の指に入る。真っすぐも速かったが、スライダーがあれだけ真横に曲がったのは、この人だけでしょう」と投手としてのすごさを振り返る。

 「浅草生まれの江戸っ子でね。男らしく、さっぱりとして、アロハシャツを着て銀座を歩くと(女性に)もてたんだよ。僕も『こういう男になりたい』とあこがれたもんだ」

 元東映投手で、現在は脇役俳優として渋い演技を見せる八名信夫さん(78)も土橋さんと仲がよかった。「同い年で気があって、よく一緒に飲んだ。男っぽくて、人間的にすごくいいやつだった」と残念がる。