話の肖像画

歌手・五輪真弓(62)(5)子供と触れ合い広がる視野

 昭和59年に結婚し、翌年長男を出産しました。平成3年には長女が生まれています。今は2人とも自立して1人で暮らしています。

 〈結婚するまでは年間130ステージをノルマとしていた。香港やインドネシアでも人気が高く、海外公演も行っていた〉

 子育ては大変でした。本当に自分がもう一人欲しいくらいでしたね。忙しくて、忙しくて。でも、子供にはきちんと向き合うよう心掛けていました。子育ても歌手としての活動も、どちらもおろそかにできません。でも3歳ぐらいまではコンサートに連れていくことはできませんでした。つらかったですね。その子の人生の中で幼少期は一度しかない。やり直しがきかない時期ですから、大きな葛藤がありました。今もトラウマになっているくらいです。

 〈このころ、音楽性に変化が生じた。ゆったりしたメロディー、希望にあふれた前向きな詞。それまでの「悲しい別れ」の世界だけではなく、今を生きる人々の心情に寄り添った歌が増えていった〉

 子育てで大変だったときに「時の流れに~鳥になれ~」を書きました。大変ではあったのですが、子供が生まれたことで何もかも新鮮に見えるようになりました。子供はアーアー、ウーウーとしかいいません。何をしてほしいのか分かりませんから、自然に理解しようとします。それがいつの間にか癖になって。

 自然と人を思いやる、人の気持ちを理解するということができるようになりました。子供と向き合う前はそういうことはなかったですね。自分は自分、あなたはあなたの役割を果たしてね、という考え方でしたから。ともすればぶっきらぼうになりがちだった対人関係がずいぶんスムーズになりました。

 そんな変化が音楽にも影響するようになりました。失恋以外のこと、空、海、風、大地…。そういったものを歌にするようになりました。男と女の世界だけでない、もっと幅広い人間の歌。

 子供と触れ合うことで見つめ直すことができるようになれました。子供の視点でいろいろなものを見るからでしょうね。視野がぐっと広がりました。

 そのときどきの私自身、等身大の私を歌にしてきました。いつの間にか環境が変わり、それによって歌も変わります。

 これからは捨て曲はないという気持ちで作曲に取り組んでいこうと思っています。捨て曲とは、アルバムを制作したりするとき、何曲か足りないからと書くような曲です。充実したものを一曲ずつ作っていくのかな。

 歌い手としては、年齢とともにだんだん声が低くなっているので、かつてのような曲はできなくなってきています。これからは歌いやすい曲が増えそうです。私にとっても、聴いてくれるみなさんにとっても。(聞き手 櫛田寿宏)=次回は童話作家、角野栄子さん

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