世界史の遺風(74)

安禄山 中国皇帝を名乗ったソグド人 東大名誉教授・本村凌二

 神々にあれこれ祈願をしてもかなえてもらえるはずがない。どうしてもお供えの一つでもしてお願いしたいなら「健全な精神が健全な身体に宿りますようにと祈るべきである」という。そう忠告したのは古代ローマの風刺詩人ユウェナリスである。

 8世紀の唐朝、第6代の玄宗皇帝は混乱を収拾し、国内政治を安定させ、「開元の治」とよばれる善政をしいた。だが、治世後半には政治に熱意を失い、かの楊貴妃を寵愛(ちょうあい)し、側近の専横を招く。あげくのはてに「安史の乱」とよばれる反乱がおこり、長安の都を追われた。その逃避行の途中、玄宗は兵士の要求に屈し楊貴妃殺害を受け入れてしまう。その悲劇物語のせいではないが、「安史の乱」の首謀者はしばしば国賊と見なされてきた。だが、それは中国史からの一視点にすぎず、視野を広げてユーラシア史の立場から見れば、歴史の様相はかなり異なってくる。近年の研究者はそう指摘する。

 ユーラシア大陸のほぼ中央に位置するソグディアナ(現ウズベキスタン・タジキスタン)。古くからイラン系民族のソグド人が住みつき、サマルカンド、ブハラ、タシケントなどのオアシス都市が栄えていた。水と耕地には限りがあるから、人口過剰になれば、外に出て交易活動に励むよりほかに術はない。

 安禄山というソグド系の大男がいた。禄山とはソグド語のロクシャン(明るい)を音転写したものである。彼は6カ国語をあやつり、交渉事の仲介役を務めたという。やがて、30歳の禄山は唐の辺境守備軍団の長官たる節度使の部下に抜擢(ばってき)されたが、そのなかに生涯の盟友となる史思明もいた。

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