夫婦の日本史

「皇位争い」に翻弄された塩焼王と不破内親王 渡部裕明 第19回 

 □塩焼王(715?~764年) 不破内親王(?~?年)

 ■尊い血筋、「皇位争い」に翻弄

 「あおによし」とうたわれた奈良時代が、実は政争と権謀術数の渦巻く時代だったことはよく知られている。東大寺大仏の造立や万葉集の編纂(へんさん)などには、そうした混乱を鎮める願いも込められていたのである。

 今回はこの時代にあって、「敗者」の役割を演じさせられた一組の夫婦を紹介したい。塩焼王(しおやきおう)と不破内親王(ふわないしんのう)である。

 塩焼王の父親は、天武天皇の皇子の中でも長老格で政界に重きをなした新田部(にいたべ)親王である。天武曽孫にあたる聖武天皇に比べ、血は濃い。また不破内親王は聖武の娘で、孝謙(称徳)天皇とは異母姉妹の関係だ。こうした「血」が、夫婦を悲劇に誘ったのだった。

 世事にも通じていたのだろう、塩焼王はときの政権に不満を募らせていった。天平14(742)年10月には、伊豆に配流された。正史の『続日本紀(しょくにほんぎ)』は、その罪が何であったか、まったく沈黙している。

 3年後の4月、許され都に戻った。天平宝字元(757)年、弟・道祖王(ふなどおう)が「素行に問題がある」と皇太子を廃された際には、後継に推す声も出た。しかし時の権力者、藤原仲麻呂を後ろ盾とする大炊王(おおいおう)(淳仁(じゅんにん)天皇)に敗れた。

 朝廷での地位も上昇したが、「皇位への夢」だけは絶てなかったらしい。孝謙上皇のもとで僧・道鏡が台頭し、焦った仲麻呂が同8(764)年9月、反乱を起こすと、塩焼王は協力者として「天皇」に立てられた。だがほどなく鎮圧され、近江で斬られた。

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